続き。
 彼女についてわたしが理解した/しなかった幾つかについて。

 さて、どうして思慮深いはずの彼女が、大して愛していない相手との結婚を急いだのか。それはおそらく、彼女が結婚制度や結婚相手、時間による状況の変化といった、自身の預かり知らぬ外的要因に、最早期待もロマンも抱いていないからなのではないか。今が望むような状態でないとして、結婚すれば、あの人と一緒にいれば、時間が経てば、あるいは状況が好転するかもしれない。しないかもしれない。むしろ、もっと悪くなるかもしれない。現在考えうる望ましい状態に、仮に未来において置かれたとしても、そのときも変わらずそれを望んでいるかどうかもわからない。いま・ここを離れてしまっては何もわからない。
 それよりは、こどもが欲しいという現在の自身の目的を成就させるために自分がどうすれば良いか考え、機がめぐってきたらいっそ何も考えず最短の道を全力疾走すること。目的のためなら他のものごとはすべて手段と割り切って、ことを成したら成したで不要な後悔などせず、手に入れたもののなかでやれることをやること。これである。

 思い立ってもなかなかできることではない。何とも潔いことよなあ。上記のような覚悟はわたしにもっとも欠けている資質なので、彼女の話に対して、すごいわー、すごすぎるわー、と乏しい語彙で感嘆するばかり。

 だが同時に、やはりわたしは彼女に問わずにはいられなかった。今回の話を聞いたはじめからずっと消えない、素朴で手前勝手で押し付けがましいロマン主義的疑問を。「それで幸せなの?」と。

 すると彼女は言うのだ。
 幸せかどうかはわからないし、 おそらくこれから後悔をすることもあるだろうけど(離婚だってありうるかもしれない、と確かに彼女は言った)、 少なくともわたしの何よりの目的の成就に向けて状況は大きく進んだし、人生こんなものと思えてずいぶん楽になれたよ。それに、わたしはやっぱり自分自身を大切にしすぎてた。それが悪いっていうわけじゃないけど、今までわたしは、産まれたこどもをわたし好みの卑屈なこどもに育てたいと思ってたんだよね。そのためにも、卑屈な男性の遺伝子を受け継いだこどもが欲しかった。でもいまは大して思い入れなく、フラットな気持ちでこどもを待ち受けている。結婚相手がもっぱら健康で、生きることに不安がないひとだということもあるのかな(もちろん無事に出産できるかもわからないのにね)。いずれにしても、わたしの変な欲求を押し付けられるより、こども本人にとってはいいんじゃないかな。そんな感じかな…

 …ダメだ、何を書きたいかよくわからなくなってしまった。こうして書いてみてわかったが、わたしはやはり彼女の話をうまく消化しきれていない。わかったようでいて、実際は彼女を理解できていないのだ。とりあえず、また改めていずれ考えることにする。わかるまでは結婚も妊娠もすまい。とりあえず、すべての悩み深きアラサー女子に呪いあれということで。

 ひさしぶりに会った知り合いが、いつの間にか結婚、妊娠していた。

 埼玉県で保育士をしている彼女は、まだ若いうちに結婚及び出産をしたかったのだが、4年間付き合っている彼は優柔不断でその気があるんだかないんだか、そんな彼に愛想をつかし、年末に小学校の同窓会に出席して、そこで誘われた男性と改めてふたりきりで飲みに行き、相手から告白されるようにうまく仕向け、シナリオどおり告白されたら大いに動揺したふりをしつつ、自分は4年間付き合っている同棲相手がいるので、あなたがわたしと付き合いたいのなら半年以内に結婚してください、そうしたらすぐに彼と別れますと告げて、約束をとりつけたその足で彼と別れ同棲を解消したのが2月、新しい男性と一緒に住みはじめたのが3月、妊娠が判明したのが5月、籍を入れたのが7月、妊娠は現在5ヶ月目でもうすっかり安定期、というのだからたまげた。

 なお、よくある話なのかもしれないが、彼女はかつての小学校の同級生であるところの夫を格別愛しておらず、嫌いなところがないので結婚を決めた、とにかくこどもが欲しかったのでさっさと結婚したかったわたしにとって彼は好条件だったということ、と言い放ち、わたしのあんぐり開いた口は更に大きくなった。というのも、わたしが知っていたはずの彼女は、愛情深く、計算とは無縁で、何より、卑屈な男性が好きという変わった嗜好の持ち主だったから(ちなみに彼女が4年間付き合っていた彼は、生まれつき足が悪かった。彼女はそんな彼と彼の障害に、三島由紀夫の『金閣寺』の柏木のような爛れた悪を夢想し、その毒にあてられたいと思った、というようなことをかつて語った。実際のところは彼は柏木とはほど遠く、明るく前向きで誰にでも好かれ、DJをやっていたりするようなモテ男だったので、あてが外れたようだったが)。

 うまくニュアンスが伝わらないかもしれないが、彼女は上記に加え、理知深く、それでいて夢見がちで、思春期をこじらせており、悪い意味でも良い意味でも人生に妥協できないひとだと勝手に認識していたので、今回の決断の唐突さにはとても驚いてしまった。なおかつ、話を聞けば聞くほど、彼女の理知深さや夢見がちなところは変わらず保持されたままであり、大して好きでもない人との慌ただしい結婚及び妊娠という今回の事態とは矛盾せず併存しているのだった。それがはじめ、わたしにはよく理解できなかったのだが、何度も首を傾げつつ質問を繰り返したことで、何となくわかってきた。

 ……

 疲れきったので続きはまた。
 広島の殺人事件で加害者の少女が、殺人後に放置され傷んだ死体に動揺して自首に至った、と証言しているそうで、まあありそうな話ではある。詳細は知らないが、自身が殺めた元友人が変わり果てた姿で毎夜枕元に現われる悪夢にうなされただとか、そんなところだろうか。

 それはそれで貧困ながら、自然な想像力の働き方なのかもしれないと思う。だが考えてみれば、死体が腐食しかつてひととしてあったようなかたちではなくなるというのは、ひとが疑いようもなく死へと移行したことをむしろ明確に示している。つまり、彼女が実際には死んでいないかもしれず、直接的な犯罪の露見なり復讐なりの恐怖に常に脅かされるというような事態は避けられたわけで、元友人の死体を前にして、少女は胸を撫で下ろすべきではなかったのか。

 当然、崩壊した死体に対する生理的嫌悪はあるだろう。あるいは、残された肉体が自然の作用で分解されていく不可逆な現象によって、自身の行為のとりかえしのつかなさを改めて認識させられたのかもしれない。

 いや、彼女の恐怖はやはり自然なものではないか。「死者の無念は察するに余りある」とは司法の世界ではよく聞かれる言葉であろうし、ひとびとは仕事を休んででも死者の慰霊に出かける。誰も彼も(もちろんわたしも)日常的に、死を経てもひとは死なないという信念を日常的に保持しているようである。
 ほんとうは、その信念は誤っているのに。死を経たらひとは一切合切が死に放逐され、ただのひとつとして生に属するものはなく、放蕩息子の帰還など望むべくもない。ほんとうは、誰もがそれを知っているというのに。

 何がいいたいかといえば、全くたいしたことをいいたいわけではなく、わたしたちの社会は、どこまでいってもひとの死をなかなかうまく取り扱えないのだな、というよくある感慨を改めて述べるのみである(あるいは誰もが、死に対して詮無い期待をしている)。
さようなら、わたしの大切だったひと、さようなら、是非もありません。
 実家に帰ったら、ドーンという音が響いて、祖母が階段から滑り落ち、離れた部屋で歓談していたわたしたちが急いで駆けつけると、祖母が仰向けで身体を縮こまらせ、ぁ、ぁ、ぁ、と呻いている、あとで聞いたところによると、階段の中ほどに置かれてあった箱の中身(母が注文した有機野菜の詰め合わせだった)が気になって覗き込もうとして、足を滑らせたという、まったくイジキタナイからそんなことになる、と母が、熱海在住の母の妹に電話で告げている、ようよう祖母を起き上がらせ近くの病院で診察を受けると、骨折のため(簡単な)手術が必要ということである、というのが土曜と日曜、それでたまたま今日(月曜)まで仕事が休みだったので、実家の冷凍庫に忘れさられていた苺を使って、季節外れもいいところだが苺ババロアを作ってみた、煮つめて濾した苺に砂糖にゼラチンに少々の牛乳に生クリーム、生クリームは1パック(200cc)で800キロカロリー以上もあるそうで、戦々恐々としつつ2パックをボウルにあけ、ほどよく泡立てる、鼻歌が自然と鼻腔を抜けていく、祖母の入院、手術が控えているというのに、不謹慎なことだ、仰向けで呻く祖母の姿を思い起こすと、血の気が引く、祖母と母の今後を考えると、どうにも先行きは困難なように思え、暗い気持ちになる、わたしも祖母と母を支えなければなるまい、何もない、空っぽなわたしが、こうしていよいよ介護だったりといった死の昏冥さを帯びた渦に巻き込まれていくのだろうか、早々と? 遅まきながら? まだ何も書いていないのに? とはいっても、何を書くというのだろう? 熱海在住の母の妹の職業は保母なので、わたしは彼女に箸の持ち方を教わった、ので箸はきれいに使えるのだが、なぜか鉛筆の持ち方がおかしいままである、大学生のとき、ふとしたきっかけで仲良くなった男性とファーストフード店で向かい合わせに座って、その彼がポラロイドカメラで知り合いを撮影し、その場でできあがった写真に何でもいいから一言書いてもらう、という恥ずかしい悪趣味の持ち主だったので、引き攣った顔のわたしの写真の下の空白に、とっさに「沈黙は金」と書いたことがあった、その際彼が、鉛筆の持ち方おかしいね、直した方がいいよ、と明らかにわたしに対しての評価を下げたような調子で口にした、恥ずかしさのあまり、わたしの心はその日ずっと山にこもって帰って来られず、後日帰ってきた心と相談して、これからはちゃんとした持ち方で字を書こうと誓ったのだったが、今もおかしいままである、仕事のときなど、人前で何かを書かなければならないとき、いつも恥ずかしい思いをしているのに、そういえば最近は直そうという方向に気持ちが向かったことが無かった、何にせよ、自分の悪いところをいちいち検証し、改善しようとすることを長いこと怠っている、その果てに、何もないわたしがこうして息をしている、何もないままに生活することができてしまうので、相変わらず何もないままで、できあがったババロアは少々ふんわりしすぎていて、どうやら生クリームをかきまぜすぎたらしい、母には好評だったが、わたしには不満が残った、次に作る機会があれば、気をつけよう、何にせよ、改善に向かう心持ちが大切、そんな白々しいことを書き付けながら、今も鼻歌をふんふんと歌っている(なぜか宇多田ヒカル)、祖母の転落にかこつけて、こんな遅くまで起きている、早く寝たいと思っている、おかしいままである、早々と? 遅まきながら? 時間をかけて何か書こうと思っている、おかしいままである、
 今年の年末および年越しは近年稀に見る酷さで、付き合いで顔を出した忘年会の帰りに、たまたま方向が一緒で電車に乗り合わせた、大して互いに知りもしないひとから失礼なことを言われ、あるいは興味もない九州男児についての講釈を聞かされ、うんざりしているあいだに、気が付くと年が明けていた(得られた教訓:九州男児的メンタリティを持った人とは、絶対に付き合わないこと!)。

 忘年会に出かける前には、高校時代からの付き合いの友人から電話がかかってきて、鬱病がいよいよひどくて、どうなるか解らない、という内容の話をされた。会の最中にも続けて着信があったが、出なかった。震える携帯を手に取って、画面に表示される彼女の名前と写真を眺めながら、出ようかどうか迷ったんだけれど。

 更には、年が明けたあとに電話で話した異性の友人と、こっぴどくケンカをしてしまった。わたしは彼の不義理を詰ったが、考えてみれば彼が不義理なのは端的にわたしに人間的魅力が乏しいからで、どうしようもないことなのかもしれなかった。人間的魅力に乏しいから電車のなかでも失礼なことを言われるのだ。鬱病の友人を見捨てたりするのだ(これは逆か)。年明け早々ケンカをするのだ。その他は、口内炎。乾燥肌。ありえない寒さ。ワインのシミを作ってしまったブラウス。品性の下劣な家族および一族。汚らしい部屋。何にも心が動かない、カサカサの心。

 この三、四年、年越しには二時間くらいかけて入浴するのが恒例になっているので、ケンカを終えたあと、惰性的にお風呂に入った。そういえば先週は、異性の友人と、銀座でお茶をして、日比谷で映画を観て、青山でお酒を飲んだのだった。そんなことを書くと、調子に乗っている感じがするし、確かにそのときのわたしは調子に乗っていたのだろうが、今にして思えば、滑稽極まりない。遊びに行ったのも、こうして湯船に半身だけ浸かっているのも、惰性だし、わざとらしいし、その場しのぎだし、人間的魅力に乏しいし、渇いた心にはほとんど関係がない(今回の日記の題名やバナーもそうですね)。でもだからといって、どうすればいいだろうか。わたしにはよく、解らない。いや、嘘だ。どうすればいいかは、解っている。でもどうすればそうできるかは、解らない。

 お風呂から上がると、あまりに寒すぎる。乾燥肌が、すぐに痒くなる。ほんとうに、解らない。
 


 青山真治の監督した『Sad Vacation』を颯子さんと観た。はじめの、浅野忠信が中国人の孤児を背負い、自転車を必死にこいで逃げるシーンがものすごく良くて、これは期待できるのでは、と思ったのだけれど、画面はともかく、内容に激しく違和感を覚え、結局あまり楽しむことができなかった。

 というのもこの作品は、中上健次の物語を反転させて、「浜村龍造」の位置に石田えり演じる母親(間宮千代子)が収まるという――青山真治本人の言葉を借りれば「『枯木灘』は父親との葛藤を描いていましたが、この『サッドヴァケイション』では母親との葛藤を描いています」という――構図を持っているのだが、つまり、「父性」ではなく「母性」こそが、ひとがそこから逃れようとして逃れることのできない、人間存在を規定付ける超越項(運命と言い換えてもいいが)としてあるのだ、という認識のもと、まがまがしいともいえる「母性」を描き出そうと試みているのだが、はっきりいって、その試みがまったく失敗に終わっているように思えたのだ。

 巷ではこの作品について、石田えりの演技がすばらしい、女っておそろしい、だけど強い、みたいな10000年も昔から口にされてきたクリシェな感想があふれているようだけれど、勘違いもはなはだしいとわたしは思う。この作品で描かれる「母性」とは、「母性」の皮をかぶった「父性」でしかないからだ。

 劇中、浅野忠信演じる白石健次が、種違い(腹違いではない)の弟を撲殺してしまうという事件が起こるのだが、それに対して千代子は悲しみもせず、刑務所に入ってしまった健次の恋人の胎内に、ふたりのこどもがいることが判明すると喜び勇んで、葬式当日に「過去は忘れて、産まれてくる子のことだけ考えましょう」というようなことを口走り、逆上した気の弱い再婚相手の夫(間宮繁輝)からぶたれてしまう。このあと、千代子が「ふん、男のひとは好きにしたらええんよ」などとのたまうために、ひとはそこに、外面的には平然を装っているが、辛いことがあると傍らのものに暴力を振るう強権的な(精神的に弱い)父、そのような父=男たちのふるまいにも、息子の死にもくじけない強い母、というような関係を読みとってしまうのかもしれないが、それは明らかにミスリーディングだろう。
 ここで千代子は、端的に血の存続のことにしか興味がない。そして血を受け継ぐのにもっとも適している、長男(とその嫡子)にしか興味がない(次男のことはどうでもいいから悲しまないのだ)。くわえて、弟を殺害した健次を赦すことも、健次の恋人(と腹のなかのこども)を迎え入れることも、健次の庇護してきた知的に障害を持つ女性を養子にすることも、夫には何の相談もせずすべて彼女の一存で、勝手に決めてしまうのだ。これが、「母性」でありえるだろうか。
 たとえばそれは、家―血の継承にのみ価値を見出し、一家のすべての権力を集中して保持していた、近代以前の武家社会における男たちと、どこまでも似てこないだろうか(そうではなく千代子が体現している「母性」はアナクロすぎてダメなのだ、という批判も他のところで読んだが、わたしはそのようには思わない。ひたすら血の存続に固執して息子の死にも頓着しない「母性」など、かつてもなかったように思うから)。

 逆に、ここでの再婚相手の夫=繁輝は、そのような千代子の暴君ぶりを前にして、愛する息子の死を悲しむあまり、興奮して手をあげたりはするが、基本的には千代子の決断をまるごと受け容れてしまっている。前の夫のこどもである健次とは、血の繋がりもないというのに、しかも彼に実の息子を殺されたというのに、その事実すら(仕方なしに)受け容れてしまうのだ。そればかりかこの夫は、理不尽な状況を受忍しているのは何より自分なのに、妻こそが、すべてをまるごと受け容れる人間だと考えてすらいる。
 この愚かさというか主体性を与えられていない感じもふくめて、この映画に「母性」が存在するとすれば、この夫のもと(と、おまけ的に宮?あおい)にのみあると、わたしは思う。

 かようにこの映画では、母性と父性が本来あるべきところから入れ替わってしまっている。女性のもとに「父性」が、男のもとに「母性」があるだなんて、奇妙な見方だし、不自然だ、と思われるかもしれない。たしかに奇妙なのだ。だがそれはわたしの見方のせいではなく、青山真治が、「母性」を描こうとしながらそこに「父性」を密輸入したせいにある。
 要するに、この作品では、何ら構造的には反転がなされておらず、単に浜村龍造が千代子に「なった」だけなのだ。つまり石田えりは、女ではなく、男としてスクリーンに現れていたのだった。ひとはしかし、石田えりが女性であるという単純な事実に気をとられ、「父性」がそこにあってもそれを「母性」ととり違えてしまう。あるいは映画に付された、「すべてを包み込み美しく生きるゆるぎない女たちの物語」とかいうふざけたコピーのせいかもしれない。

 もちろん、「父性」やら「母性」といったカテゴリーは、何らかの本質をそなえたものとしてあらかじめ存在しているわけではない。だが女性が演じたからといってそれが即ち「母性」になるわけでもないはずだ。そして青山真治が、中上健次が書いた「父性」に抵抗するものとして「母性」を扱おうとしたのであれば、何よりそれらのことに自覚的になるべきではなかったか。なぜなら、よくいわれるように、一見「母性」の独立した能力の発現、または「父性」へのカウンターパンチだと思われることが、実は「父性」のてのひらのうえ、「父性」の思惑のうちのできごとでしかないということがありうるから(「父性」の力はそれほどに強大で、だからこそ中上健次の小説のなかで、主人公秋幸はあのように苦しまねばならなかった)。結果、石田えり演じる千代子は「父性」のいびつな体現者にしかなれなかったのであった。

 というわけで全体、不満だったのだが、颯子さんも不満足そうにしていたのでよかった。青山真治は女性嫌いで女性の趣味も悪いが、才能はあるのでどんどん作品を作ってほしい、というがふたりの共通の認識である。映画のあとにふたりで牛タンを食べたのだけれど、わたしよりも痩せている彼女が、わたしの皿の肉をもの欲しそうに見つめているので、食べていいよ、とすすめると嬉しそうにバクバク食べて、見咎めたわけでもないのに、今日は朝からバクバクほとんど何もバクバク食べてなくってがっついてごめんなさいバクバクと言い訳していて、ひさしぶりに会った彼女はやっぱりとてもキュートでした。

(※文中の青山真治の言葉は
http://eiga.com/special/show/1294_1 より引用)
 
 母方の叔父が末期の癌で、医者がいうには年を越すことが難しいそうなので、電車とタクシーを幾度も乗り継いで母と見舞に行くと、42キロまで痩せてしまった叔父はまともに話すこともできず、もう死体のようだった。服のうえから足を触れば骨だけで、こめかみのあたりもすっかり肉がそげて、皮膚の下の頭蓋骨のかたちがはっきり見てとれた。だが叔父は自身のなかの癌細胞が肺にも大腸にも肝臓にも、つまり全身に拡がっていることを知らされていないから、わたしたちが見舞った2日前に胃の摘出手術を受けたのだが、身体のおびただしい衰弱はそのせいだと考えているようだった。どうも呑気なところのある叔父は、聞き取りにくい声で、ここの看護婦は天使だ、とか、玄米食はやっぱり良いらしいね、などと話し、ぜったい良くなるから、ぜったい良くなるから、と何度も繰り返していた。還暦までも随分間がある叔父にとって死はまったく認識のそとにあるようだったが、あるいは(このように想像することは下劣でしかないとも思うが)自身の死をどうかすると予感していたのかもしれず、去り際に握った手に込められた力は、それが何であったのか、どういうことなのか、どのように考えればいいのか――それが何をも意味しないことは明らかだとしても、わたしには、よく解らなかった。

 というのがつい二週間前のことで、それについて書きたいと思っているうちに叔父の容態は急変し、危篤だと連絡があってすぐに、わたしたちが駆けつける前に亡くなってしまい、先日、通夜と葬式に行ってきた。なので、見舞のあとに寄った叔父の家に通いで来ているヘルパーのひとと叔父との関係や、それについて興奮して話す祖母と母のこと、夕食を済ませた駅前の洋食屋でのできごとなどについて、書く気が失せてしまったことは、残念に思う(書く気が失せてしまったのは、叔父が死者となってしまったことで、叔父について、もしくは叔父に関係のあることを語ろうとしたときに、おもにわたし自身の屈託のせいで、自由に書くことができなくなってしまったから)。だから通夜と葬儀のことを書く。

 叔父の娘(つまりわたしの従妹)は半身不随をともなった知的障碍を持ち、不随でない方の手を他人の手のひらと叩きあわせるのが好きで、どこかの寺の住職の代理だかの若い坊主がお経を唱えているあいだ、ずっとそれをしていた。パンパンパンパン! そればかりか、となりに座る祖母の頭を強い力で無理にひきよせて、頬に口をつけては、でゅーでゅでゅー、と何度も大きな声を発していた。パンパンパンパン! でゅーでゅでゅー、パンパンパンパン! きっと若い坊主は腹をたてていただろうと思う。

 祖母とは逆となりに座っていた叔母(叔父の配偶者)が、従妹が騒ぐたびに身を固くして、手を伸ばし彼女を抑えようとしており、それは多少気の毒だったが、お経の合間にさしはさまれた、お経と同様の節回しの日本語の朗唱で、叔父は仕事と家事に励み功徳を積み信仰に篤く、みたいなことがくどくどと言い立てられていて、そのような語りに強い違和感――叔父は専業主夫だったので仕事はしていなかったし、少なくとも仏教を信仰してはいなかった――を覚えていたわたしは、従妹のふるまいにむしろ喝采を送りたかった。わけのわからないありがたいお経をまくしたてながらポクポクとビートを刻む坊主とそれを眠そうに聞いている出席者の滑稽さと、従妹の蛮勇の、どちらがより死者を送るにふさわしかったか。

 だがそのような身勝手な考えを巡らせていたわたしもまた、死者を送る資格などなかったし、その考え自体、明らかに間違っていたのだ。従妹のふるまいは蛮勇などでは断じてないし、そもそも叔父の死のことだって彼女は理解していないのだから(だがわたしの母もふくめ、まわりの大人たちはみな、従妹が叔父の死を悲しんでいるという物語をたえず捏造しようとしていた。叔父が死んだ晩は、従妹はやけに神妙な様子だったとか、お棺を閉める段になって、いやだいやだの素振りをしていただとか。勝手にすればいいとも思うが、わたしはそのように考えるひとたちを軽蔑する)。だとすれば、わたしこそ蛮勇を奮い起こして、お経にあわせて踊り狂うべきだったのだ。わたしの愛するひとのお通夜、お葬式では、ぜひそうしてあげたいと思う。もちろんわたしの自己満足に過ぎないとしても。

 疲れたので、またあらためて書きます。読んでいただいた方、全体に、うんざりさせるような文章ですみません。
 
 先日会った後輩の男の子は、教育関係の仕事に見切りを付けいかがわしい会社に転職し、身に付けているだけでみるみる痩せていくダイエットこけしや、トルマリンパワーで宝くじもスロットも競艇も思うがままに当たりまくるブレスレットなんかを企画、販売する仕事に身を投じていた。

 たまたま墨田区方面に用事があったので、彼の家にほど近い錦糸町で待ち合わせ、猥雑な通りに面している中華料理屋で話をした。そこで口にしたものが原因かどうか不明だが、食べ終わる前から彼はお腹を下し、トイレに二度ほど姿を消し、その間に店内を見回すと、常連客が若い女性の従業員の肩に手を回し、それに対して女主人が中国語で軽口を叩いていた。

 東急ハンズで300円で買った飾り玉をパッケージングしなおして12000円で販売しているだとか、購入者のサクセスストーリーや怪しい学者の解説はひとつ残らずフィクションだということ、経済産業省が乗り込んできたときは証拠隠滅のためにパソコンと機械をぶっ壊せと経営者から指示された話などを、彼はお腹をさすりながら話してくれた。
 「よくそんな仕事が成り立つね」「そう思いますよね、僕も不思議なんですけど、もう15年も続いてるんですよ、この会社」「へえ、じゃあその業界じゃ老舗なんだ」「はい、社長は業界にこの人あり、といわれるくらいの大物らしいですよ」「大物ねえ」「公正取引委員会に排除命令を出されたこともあるんですが、会社名だけ変えてその後も全く懲りずに同じことやってますから、よっぽど割が良い商売なんでしょうね。社長、もの凄い金持ちですし」「はあ、ああいう商品って誰が買うんだろうと思ってたけど、会社が儲かってるってことは騙される人がたくさんいるんだねえ、やっぱり」「でもヒット商品をつくるのは難しいですよ、僕の企画したこけしはほとんど売れませんでした。付属の紐を通せばネックレスにもなるのに」「そもそもこけしって意味不明じゃない。こけし身に着けて痩せたらなんだか呪いみたいだよ」「そういえばそうですね、可愛いと思ったんですけどね」
 蒸し暑い一日で、冷房の効いていない店内は、タバコの煙と調味料の香り、ひとびとの体臭が交じりあう。わたしたちのとなりに座る客が、足の指に変なデキモノができたと、わざわざ靴下を脱いでデキモノをみせびらかしている。

 学生の頃には、クソ真面目だけどお笑い好きで、不器用で他人の目を気にしない、日本列島を歩いて縦断してしまうような男の子だった彼が、今になってどうしてそんな仕事をしているのだろう、世の中に出てよっぽど嫌な思いでもしたのかしら。彼について、はじめのうちはそのように考えたのだが、話しているうちに、別段彼が変わってしまったわけではなく、クソ真面目だけどお笑い好きで、不器用で他人の目を気にしないという生来の性向が、むしろその仕事を選び、続けさせているのかもしれない、と思った。
 何というか彼には、そのようないかがわしい商品を買ってしまうひとたちと共通したところがあるのだ。正しくない分析かもしれないけれど、恥(という概念自体)を知らないというか。そう考えれば、自分を正当化したりあるいはアウトローぶったりしない、善悪に頓着しない彼には、そのような仕事への適性が案外あるのかもしれない。
 でも実際のところは、よく解らない。変わったという自覚を持てないほどに緩慢に/恐ろしいスピードでひとは変わるから、彼はかつてのようではなく、給料が他のところより良いんですよ、と話してもいたし、ただ欲に目が眩んだのかもしれない。

 「次なる新製品としていま考えているのが、失ってしまった純粋さをとり戻すことのできるアクセサリーなんですよ」「純粋さ? 何それ」「社長がいうには、売れる商品というのは、ひとのコンプレックスを刺激するものらしいんですね。例えばダイエット商品が売れたりするのは、みんなが客観的に太っているかどうかはともかく、自分の体重にコンプレックスがあるからだ、というように」「それはそのとおりかもね。けどきみたちの会社の商品は、そのコンプレックスをまったく解消してくれないけどね」「まあそうなんですけど、だから新商品が売れる余地が残るわけで、それはともかく、現代人のコンプレックスに、純粋さがあると思うんですよ。ひとびとは純粋さをとり戻したがっているんじゃないかと」「……ネタじゃないよね?」「ネタってなんですか? ほんと、そう思いませんか。汚れた魂を浄化したい、きれいになりたいって」「そう望むひとが、あんな悪趣味な広告に釣られるかしら」「いやあ、いいアイデアだと思うんですよね」「どちらにしても、なんか会社のコンセプトからは外れまくってるよね」「それは社長にもいわれました」
 いずれにしてもどうやら、彼にはひとを騙す才能はないようです。アクセサリーができあがったら、わたしもひとついただけるそう。純粋さをとり戻したい方がいらっしゃったら、ぜひパチスロ雑誌の広告などをチェックしておいてください。定価15000円くらいで販売予定だそうです。
 
 たとえば駅のホームから公園のこんもりとした緑がとてもきれいに見えたので、ちょっと足をのばしてみたり、しばらく連絡をとっていない友人に久方振りにメールをしてみたり、どこに通じているはずもない手摺を乗り越えたりは、しない。そうではなく、ちょっとした買い物のついでに、ディスプレイされている新製品をつい買ってしまったり(大抵質が良くない)、ことさら下品な文言を思いつくままにノートに書きつけたり(いかにも友達のいないわたしのしそうなことだ)、芥川賞候補に挙がっている作家の作品を読んでみたり(悲しいことにほとんど面白いと思えない)は、するのに。
 それらの違いは何なのだろう? それはきっと、わたしにとってそれが、日常のなかで馴れ親しんだ行為であるかないか。飼い馴らすことの可能なレベルでの、新しさかどうか。つまり、新製品を買ったり、新しい作家との出会いを求めたりは、行為としては、わたしにとって何も新しくない(多少新鮮な気持ちを味わえはするけれど)。そうなのだ、わたしの日常の外にある行為の、何と恐ろしく、億劫なこと。わたしは役に立たないことばかりに時間を費やしてきたように思うが、ほんとういうと、全然ムダなことをしてこなかったのだと思う(あるいはムダなことをわたしにとって身近な行為として解釈し、飼い馴らしてしまう)。つまり、新しいことを。

 いまさらだけど、そしてこの言葉は多分に誤解を与えるかもしれないが、わたしには勇気が足りないのだと思う。新しさの方へ踏み出す勇気も、新しさなんかに拘泥しないでいられる(新しい)わたしであるための勇気も。致命的に。そしておそらくは、勇気こそ、もっとも大切なものなのだ。わたしにとって。もう寝る。いいえ、まだ寝ない。
 
 もう7月だから今年も終わるだろう。わたしのなかに随分長いあいだ居座っている思いや、掬ったそばから零れていくような心の動きを、かたちにしたいのだけれど、うまくいかない。バカだから。苛々ばかりしているの? 誰が? エゴイストや、差別主義者や、自己完結屋たちのふるまいにカリカリして、心中で蔑んで。ネオリベラリストが、旧弊のリベラリストたちを嘲弄しているのを見るのは気が滅入るし、旧弊のリベラリストたちの権威主義的性向にはなおさらうんざりする。保守主義者はものを考えることができないように思えるし、市民運動家は全く反省を知らないように思える。そうやって手前勝手にラベリングして、自分はそうじゃないなんて、わたしこそ多様な世界を認めることのできない人間なのね。そのように考えることも、嘘っぽい。嘘っぽいけれど、いままでに心を寄せてきた思想たちだって、もしかしたら正しくないものかもしれない、と思う。正しくないというより、役立たず、偏向、ナンセンス――。だが間違っているのはわたしの理解の仕方? 表現の方法? いいえ、バカなだけ。いいえ、いいえ。誰が? 雨が降っているの? どうして?
 
 昔どこかで蓮實重彦が「ゴダール家のジャン=リュック坊やは成人したのちもなお、あらゆる待ち合わせに遅刻せずにはいられない」みたいなことを書いていたことがあって、それからしばらくは約束の時刻に遅れるたびに、ごめんねでもゴダール家のジャン=リュック坊やがもごもごもご、と言い訳をしては気の効いたことを口にできているつもりでえへらえへらしていた。

 でもあれからずいぶん季節は巡ったし、わたしだっていつまでも軽薄なままじゃない、遅刻だって減ったし、なんだか深刻そうな雰囲気だって手に入れたし、ほらご覧なさい、外は雨が降っているわ、明日もきっと雨ね、明後日だって、その次もそのまた次も、とえへらえへらしていたら案のごとくさまざまなこと(約束さえしていないことばかりだけれど)に間に合わず、後悔ばかりでえへらえへらしている。

 ティがーさんお疲れさまです。わたしも『喧嘩商売』好きでした。
 
 寝不足だとぼんやりするし帰りの電車では寝過ごすし苛々するし肌は荒れるし情緒不安定になるし、いいことはひとつもないのでたくさん睡眠をとりたいといつも願っているのだけれど、ほんとうにわたしはばかもので、たいした理由もなく回文(「竹薮焼けた」、とかですね)について書かれたものを長々といくつも読み、その時点で夜もずいぶんと更けていたのに、回文から連鎖していろは歌についても調べてしまい、のみならず、ちょっとわたくしもたしなんでみようかしらなんて、忌むべき気持ちがむくむくと。
 で、作ってみたら意外と時間がかからずにできたので嬉しくて、ついでに日記まで更新してしまう始末。しかし、こういうものに熱中してしまうわたしは悲しいけれどつくづくオタクなんですねやっぱり。あー。

 ちなみにいろは歌とは「すべての仮名文字を使って作られている歌で、手習い歌の一つ」(Wikipediaより)のことで、

  いろはにほへと ちりぬるを (色は匂へど 散りぬるを)
  わかよたれそ つねならむ (我が世誰ぞ 常ならむ)
  うゐのおくやま けふこえて (有為の奥山 今日越えて)
  あさきゆめみし ゑひもせす (浅き夢見じ 酔ひもせず)

 を指すので、わたしが作ってみたのは正確には手習い歌というそう。有名なものとしては、坂本百次郎というひとが明治36年に作った「鳥啼歌」という、以下に挙げた作品などがあるそうです。

  とりなくこゑす ゆめさませ (鳥啼く声す 夢覚ませ)
  みよあけわたる ひんかしを (見よ明け渡る 東を)
  そらいろはえて おきつへに (空色栄えて 沖つ辺に)
  ほふねむれゐぬ もやのうち (帆船群れゐぬ 靄の中)

 わあ、すっかり七五調になっていて、お見事ですね。そしてわたし。

  ぬれそほちゐて (濡れそぼち居て)
  さみしくともひめた (寂しくとも秘めた)
  あいはかえらす (愛は帰らず)
  むろんうきよのつね (無論 浮世の常)
  おにゆりやまへ (鬼百合山へ)
  こゑをふるわせなけ (声を震わせ泣け)

 わあ、高校の文芸部に所属している女子みたいですね。どうしよう。
 
父親たちの星条旗?
 だいぶ間隔が開いてしまい、ほとんど情熱が消えてしまったのだけれど、はじめに書きたいと思ったことをまだ書けていないので、どうにかこうにか。

 むろん、ドク、アイラ、イギーの三人には、死んだ戦友のために戦うなどという不可能な行為をさっさと見限り、彼らの死を忘却してしまうことだって、ことによると利用することさえ許されていたかもしれない(考えてみれば、それほど彼らの死に固執する理由もなく、端的に、フロイトいうところの喪の作業に失敗して、メランコリー状態にあるだけかもしれないのだ)。何といっても三人は英雄なのだし、過去にどんなことがあろうとも、未来は長く、そして人生はつづくのだから。

 けれども、三人のなかでももっとも純粋なかたちで、不可能な行為の可能性のうちにありつづけようとしたドクは、危篤に陥った際、みずからの死へとつらなる苦しみのなかで、「Where is he?」と何度も何度もくりかえす。あれは息子を呼んだのだ、と臨終のベッドでドクはいうが、当然のことながら彼は、かつての戦友であるイギーを探して、50年以上も昔の記憶から回帰してくる(その時点においてもすでに死んでしまっている)親友へ呼びかけていたのだった。

 たしかに、先ほど書いたように、三人はメランコリーのうちにとどまっていたに過ぎないかもしれない。死に別れた戦友に過剰に同一化しようとし、自我の極度な貧困化を起こしているアイラなどは、その典型的な例をしめしているように見える。
 だが少なくともドクの態度は、単なるメランコリー反応と片付けてしまえないものを秘めているように思えるのだ。あるいはメランコリーの極限の状態がそこにあらわれているかのようにも。

 それを「死んだ戦友のために戦う」ということと繋げて考えると、戦うことが戦友とともに戦争で殺されることだとすれば、戦争が終わり、生き残ってしまったときからそれは遂行することが原理的に不可能な行為となり、にもかかわらず戦い続けることを選択しようとすれば、戦争から生還したのちは、どのように生きても、何をしたところで、ただしい行為にはならないだろう。
 それでも、不可能な行為を行為しつづけることを選択すること。つまり、間違いつづけること。50年よりももっと長い期間、ずっと葬儀屋で働きつづけ、数えきれぬほどの死にたちあい、それぞれの喪の仕事を黙々と果たしてきたにも関わらず、肝心のイギーに対する喪は、生存の終わりまで(終わってさえも)済ませることができなかったということ。

 それは、もはやメランコリーと名付けることもできないような(半分死んでいるかのような)生存の状態であり、その生を不服を一切漏らさずにまっとうしたドクに、わたしは激しく倫理的なものを感じてしまったのだった。死者を悼むっていうのはこういうことよねーと。
 そして、そのように理不尽な生存をドクに強いたものが、戦争のおよぼした影響のひとつだったのであり、志願にせよ強制によってにせよ、戦争へ参加してしまった時点で、わたしたちはひとしく、ただしい行為を奪われ、間違った生を余儀なくされるのだろう、それをドクのように生きるか否かを問わず。おそらく。ということも付け加えておきたい。

 何だか疲れてしまった。すでに作品はすべてを開示しており、映っているものが全部で、隠されているものなど何もない以上は、カメラに映されていないことに言葉を費やすのは無意味なことだし、開示されているものをダラダラと記述したところで、それも余計なことなのね、と虚しい気持ち。窓が結露している。まあいいや。
 
 一昨日から体調がすぐれなかったのだがさして深く考えずに仕事へ行ったら、帰ってから本格的に風邪をひいて、昨日はとうとう仕事を休んでしまった。さっきまでほとんど何も口にせずずっと寝ていたので、どうやら峠も越したようだが、熱にうかされて夜中にひとり目を覚ますのはとても苦しい。考えなくてもいいことばかりが不確かな意識のなかにぽこぽこわいてきて、しんどいな、悲しいな、と気分は落ち込むばかり。そのような心持ちのときに連絡などすべきではない、と思いながらも、ますますじんわりとわたしを絞めつけてくる夜の闇の心細さに負けて、先の日記に書いた男の子へ、返信しそびれていたメールがあったので送ったら、料金不払いで彼の携帯が止められているらしく、わたしのもとへ戻ってきてしまった。凹んだ。ので前の日記のつづきをこれから書く。明日書く、といっていたのはご愛敬。

 さしあたって、彼らが(とりわけドクが)死んだ戦友のために戦おうとするならば、戦友を殺した敵である日本軍を叩きのめすことが、換言すれば、復讐をはたすことがそこで目指されていただろうか。
 ――違う。映画のカメラは、彼らを葬った主体が日本軍だけでなく、無能な指導者層や英雄をつくりあげて大衆を煽動する政治家であったこと、あるいはつくられた英雄に狂奔する大衆であったことを強調するように映し出す(現に死んでしまった戦友の何人かは、味方の誤爆撃、誤射撃で殺されてしまう)。ということは、彼らが日本軍の兵士をいくら殺そうとも、復讐は半分足らずしか完成しないのだった。どのように戦いをつづけたところで、日本軍と反対の極にある殺人の主体として表象された、浮かれた政治家や戦争に参加しない大衆に対して、復讐する方途が見出せない以上は。それどころか、戦うことや英雄という名の広告塔として奔走することが即、彼らの利益に資してしまうような状況にあっては。

 では死んだ戦友のために戦うこととは、単純に、彼らの死を無駄にしないということだろうか。
 あるいはそういう側面もあったかもしれないが、そのようにパラフレーズしてしまうのもやはり、正確ではない。もしそうであったとすると、アイラが本土に還ってきてから任務をはたさずアルコールに溺れたり、ふたたび戦場へと配属されていくことが説明できないし、ドクが臨終の床につくまでに、戦争について息子たちに一切話さなかったということとも矛盾する。
 また三人のうちの誰も、戦友の死によって手に入れた英雄の立場を有効に利用することができなかったし、かといって彼らを偲んで何か行動を起こすこと――たとえば平和運動に従事するなり――もほぼなかったのだ。
 あったことといえば、アイラとドクがそれぞれ戦友の遺族に会いにいったぐらいで、それにしてみても、アイラがヒッチハイクの末にたどりついた先では、もっとも話を伝えるべき相手である戦友の母親はすでに家を出ていってしまっていたし、ドクはドクで、いちばんの友人だったイギーの遺族に会いはしても、彼の記憶のなかにたびたびフラッシュバックしてくるイギーの死の詳細をつたえることはなかった。要するに、彼らの行動はほとんど無駄に終わったのだ。ならば。そうであれば。

 ほんとうのところ、死んだ戦友のために戦うということは、すなわちそれは、死んでしまった戦友たちとともに、みずからも戦争によって死ぬことに他ならない(アイラはふたたび最前線へとおもむくことでそれをなしとげようとした)。それ以外に、死んだ戦友のために戦う方法などない。死んだものたちの不幸な死を悲しんで追悼したり、彼らの生前の/死に際してのすがたを記憶し語り継いでみたりしたところで、どこまでいってもそれらは生者のためのものでしかない。
 だったら、ドク、アイラ、レイニーの三人が戦争を生き残ってしまった以上は、死んだ戦友のために戦う/戦ったなんていうことは不可能ではないか? それを果たすことのできる決定的な時点は過ぎ、機会はもう永遠に失われてしまったのだから。

 まったくそのとおり。不可能なのだ。だからこそ彼らは、そのあとの生を、喩えようもない空虚を抱えて生きざるを得なかった。
 惨たらしい死に方をした、もう存在しない戦友のために戦うこと(=自分も戦争で同じように殺されること)。それが許されないままに、なおも彼らのために戦おうとすれば、あとはただ、死んだように生きることくらいしか道は残されていない(その帰結として、アイラはいずれ野垂れ死に、レイニーはビルの清掃人として人生を終え、ドクは、生涯葬儀屋につとめつづけ、数限りない死者の喪をすませることになるだろう)。

 まだ終わりませんでした。あとほんのちょっとだけつづけます。やっぱりどうも頭がうまく働かないみたい。そういえば、母親が明日からイタリア旅行にでかけるそうで、電話で話していたら、受話器越しに風邪うつさないでちょうだいね、と冗談で(多少本気で)いわれ、何だか悲しかったです。ので、風邪がうつりますようにと呪いをかけない代わりに、それなりのお土産を買ってきてもらうことで手を打ちました。どうでもいいですね。ので、携帯の繋がらない彼に風邪がうつりますように。エロイムエッサイム。
 
 ちかごろ微妙に仲良くしている年下の男の子と、蕎麦を食べたあとに、『父親たちの星条旗』を観た。イーストウッドの映画としてはベストではないけれど、高い水準にあることは議論を俟たない、良質な作品だったように思う。
 以下、映画を観て考えたこと。

 まずこの作品の表層的なテーマは、ちょっとした偶然で英雄にまつりあげられた主人公たち(ドク、アイラ、レイニーの三人)が、政治家たちの思惑に巻き込まれ、戦争で疲弊しきった国民に国債を買わせるための広告塔としてアメリカ全土を行脚したことについての、父親ドクの足跡を追った息子による「彼らは祖国のために戦ったが、祖国のためにでなく戦友のために死んだのだ」というナレーション(正確な引用ではないかもしれない。つい最近観たのにもう大方忘れてしまった)にあらわれているといえよう。

 だが――そもそも作品中で、戦友同士の関係を説得力のあるものとして描けているかは置くとしても――「祖国のために戦って死ぬ」という大義名分に「戦友のために戦って死ぬ」という無名で個別の物語を対置させたところで、両者のあいだには本質的な差異がないことはいうまでもない。
 近代国家という社会システムが、さまざまな物語を総動員させてシステムの延命を図ろうとするものだとすれば、国家のための兵力が調達できるのなら、ひとびとが戦争に参加する理由は何であろうとも構わないだろう。むしろ「家族や友人ら、愛するひとのために」戦う、という物語は「祖国のために」というそれ自体としては空虚なナショナリズムを充填する中身として、都合良く機能してしまうのではないか。
 あるいは「ずっと前から、そして今も、人々は政治家のために殺されている」とイーストウッドは語ったそうだが、そのように問題をとらえることで、そうではない(政治家のためではない、崇高な)死に方がある、という逆説を呼び込む可能性がありはしないか。つまり、「祖国のために戦って死ぬ」ことが英雄である、というのは政治家のレトリックに過ぎないとしても(もちろんそのレトリックをそのまま素直に呑み込んで散っていくひとびとも無数にいるわけだけれど)、胡散臭いレトリックとしてそれが流通すればするほど、そうではない「戦友のために戦って死ぬ」ということが、隠された/正当なものであるかのように、戦争に参加し死ぬ理由として見出されていくのではなかろうか。そのように、「祖国のために戦って死ぬ」仕方は自在にかたちを変え、わたしたちの生存のなかに温存されていくのでは?

 しかしもちろん、そんなことは自明のことではある。それだからイーストウッドは、陳腐に響きかねない息子のナレーションを、ことさらにハリウッド的なかたちでラストに挿しいれたのかもしれないのだ。だとすれば、それよりも。

 それよりもわたしは、別のことが気になる。
 彼らは「戦友のために戦って死んだ」というが、思えば、これは戦争に参加する(加えてそのあとの本土でのキャンペーンに参加する)理由としては、やや不可解なものではないか。というのも、その戦友とは、硫黄島の戦いで無惨にも死んでしまっているのだから。
 彼らがたとえば、祖国に残してきた家族や友人のために戦う、というのであれば、とりたてておかしなところはない。みずからの命とひきかえに愛するものを守る、という語りの構造は誰にでも理解しやすく、共感を呼びおこしやすいものだろう(予告編を観たところ、『硫黄島からの手紙』はその構図にそってつくられているようなので、きっとわたしはそこまで感心しない)。
 だが彼らがそのために命を投げ打とうとしている対象は、すでに死んでしまっている。とうに存在しない人間のために戦うなどということが、はたして可能なのだろうか。可能だとしたら、それはどのように戦われるのか。もしかするとそれは、先に挙げた「家族や友人ら、愛するひとのために戦う」こととは決定的に違うことがらなのではないか。

 また長くなってしまったのでつづきは明日にでも。イーストウッドは最高だな、なんていうと激しく頭が悪そうですが、イーストウッドは最高だな。
 
 祖母の四十九日で父や親戚のひとたちと会った。一族の墓を誰が継ぐだの、永代使用料がどうだのといった問題をめぐって悶着があったそうだが、それについては知らない。

 そんなこんなで父が中心になって、曹洞宗の寺で形式どおりにいとなまれた法要についても、とりたてて書くべきこともないのだが、手伝いをしていた際に、父がネットで注文したとかいう祖母の位牌を手に取ってみると、彼女は79歳で亡くなったはずなのに、祖母の俗名の脇には享年89歳と刻まれている。これどうして、と聞くと、間違えちゃったんだ、とばつが悪そうに父は答えた。間違えたって、何それ。どうやら注文のときに入力間違いをしたらしいんだな、まいったよ。あらためて作り直してもらえなかったの? ちょっとこれはまずいよ。そうだよなあ、でも時間がなくってなあ、他のひとにわざわざいうなよ。というやりとりを交わす。わざわざいうな、ということは、ごまかせるものならごまかして済まそうという心積もりなのか。

 位牌とは、当の死者の魂がそこに宿るものとしてあるのだろうが、享年を間違えて誂えられたそれには、きっと祖母はよりつきもしないだろう。そんないい加減な供養をされてしまった祖母に憐れみも覚えたが、それにもまして、もはや祖母とはまったく関係のない、安っぽい仕立ての位牌を前にして、祖母とこちら側との絶対的な断絶を思い、かえって祖母の不在を感じた。とともに、厳粛とまではいわずとも、しめやかな雰囲気のなかで、堅実さがとりえのはずの父の迂闊さ、ごまかそうとする浅ましさに不意打ちされ、不謹慎ながらも忍び笑いをしてしまったのだった。
 
 ちゃんちゃらおかしいと思われるかもしれないし、実際そうなのだが、わたしもあなたも、きっと現在の自分の境遇にみちたりていない。
 その不満足の様態は、こうだったらいいな、ああ、あのようであれば! ということとは、すこし違う。
 また、さしあたって切迫した問題系のなかに生きてはいないし、これから先もそれを見出すことなどしらじらしくてできそうにない、どうしていいか解らないしどうしようもない気がしている、という青春の懊悩とも、無縁とまではいえないまでも、ねじれの位置を示しているようだ。

 であるとすれば? その感覚をわたしは、以下のようなものであると想像してみる。
 はっきりと手応えがあるか不明瞭なものであるかを問わず、わたしたちが日々涵養してきた「目標とすべきヴィジョン」のなかの、柔らかでぼんやりとしたひかりに縁どられたみずからのイメージが、あるいは、一日の終わりに、一年の締めくくりに省みられ再現される自身の過去の記憶が、わたしたちの生活の――わたしたちの身体の方向からやってくるものごととは、ほんとうに一切関係がない、ということがひとつ。
 更にはそれは、つづきあいのないはずの当のイメージが、わたしやあなたを現にこのように在らしめているという錯誤に対する苛立ちの感覚ともつながりを成すだろう。

 だが不足の感覚をそのように雑駁に包囲してみたところで、事態をすみやかに言葉に置き換えられた気がしない。
 具体的に、いつの間にかもう10月も半ばであることとか。電車に揺られているとき、書物に没入している際、友人と会った帰り途などに、それなりの頻度で心に動揺が起こり、これまでのようではいられない、すぐにでも生活を新しいものにしなければ、と思いたつ度に、決心のすぐ隣で、その企図はいつものように三日と経たぬうちに放擲されるだろう、と冷ややかな気持ちでいる自分を見出しているときのわたし。優れた映画を観て昂揚する、西武デパートのトイレが汚かった、友人の貧乏揺すりを見咎める、不味い料理と美味しい料理とが運ばれてきて、それを交互に食べる、それらの脈絡にうんざりしたり。自分の身体の動作がどのようであるか、全く知らない。昨日かと思ったらもう明日だった。などなど、ことがらを列挙してみたところで、やはりうまくない。

 けれど、わざわざ言語化せずとも、欠如を充填すること自体は、実は容易であるような気がする――わたしの場合。
 怠けずにものごとにあたること。それだけなのだ。それだけで、きっと(くどくどしい前書きが用をはたさずに悲しい)。

 支離滅裂でしょうか? こんにちは、こんにちは!
 
 摩擦のまったくない氷上かもしれない、強制的に収容されたひとびとの折り重なった死体のうえかもしれない、踏みしめる地面がもともと存在しない中空かもしれない、先の解らぬ先へ、おそるおそる足を踏みだしてゆく。昨日まではここまで歩けたから、明日にはあそこまで足を進められる? このまま何があろうとも歩みつづければ、いつかどこかに辿りつく?

 わたしはふりかえる。昨日はどこまで歩いたんだっけ? 足跡ははじめからなく、どちらの方角からここまでやってきたのかも忘れている。思えば遠くにきたものだ、などというが、わたし自身はつねに「ここ」にいるだけで、どこにも遠さがない。どこからやってきたのかが不分明なのだから、先へ進んでいるのかも解らない。

 いいえ、わたしは「ここ」から「ここ」へやってきただけ。明日も明後日も10年先の未来も「いま」に雪崩れこんで、わたしはいつまでも辿りつかない。あなたたちだって。わたしたちは、出会わない。いいえ、出会っている。世界はいつも、つるつるしている。
 
 ルイ=フェルディナン・デトゥシュの亡霊が、ドアを叩いている。

1 2

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索