騾馬
2013年9月17日 書かれえぬ書物の焚焼 コメント (1)
ヘミングウェイの「死者の博物誌」という短編のなかに、兵士たちが、頑健な騾馬たちを、行軍の邪魔になるという理由で脚を叩き折り、海に突き落とし溺死させる、という1シーンがあり、たまに思い出す。
思い出し方はその時々の気分だが、作中ではただのエピソードにしかすぎないし、わたしもふだんは忘れているし、思い出してもじきに忘れる。
だがこんな無惨な死に方はなく、このことだけを生涯考えたっていいのだ。騾馬の脚の骨を打ち砕く道具や、現場の有能な兵士から考案されたであろう、効率的に作業を遂行するための方法について。作業中に発せられる音や臭い。作業を終えたあとに交わされた会話。海へ落下していく騾馬たちと、生涯家畜として使役される騾馬たちとの差異。あるいは、わたしたちとの差異。騾馬のなりたちや、騾馬の未来。溺死に向かう騾馬の一匹一匹の苦痛の克明な描写。その描写と、騾馬の苦しみとの無関係さ。当日の天気と気温。潮風や土煙、水飛沫。作業が戦争に与えた影響。作業がそれに従事した兵士たちに与えた影響。作業が騾馬たちに与えた影響……
でもわたしは、そういうようにはできていない。文学の効果によって、たまにこうして思い出し、騒がない心とともに、何かしらのひっかかりを感じつつも、それをうまく言い表すこともできず、言い表せたとしてもそれが何になるということもないので、いずれ忘れそしてまた思い出し、そうして、死んでいく。それが何するものぞ。オリンピック何するものぞ。わたしの日々の生活何するものぞ。騾馬の苦しみの総和何するものぞ。
…………
男と騾馬がいた。男は騾馬に対して、お前はあらかじめ不妊であるから、生きている意味といえば働くことくらいしかない、かわいそうに、といつも優しげにたてがみを撫でるのだった。
騾馬も、男の言うことはもっともだと思ったが、同時に騾馬は未来を見通す能力を持っていたので、男が子を成さずに、駆り出された戦場で炸裂弾によりバラバラにされること、爆風で吹き飛んで鉄条網にこびり付いた男の死体を、顔を顰めた他の兵士によって回収されること、それらの未来を瞳に映しては、男も自分と大して変わらず、生きている意味といえば、身体の個々の部位が判別不能な破片となって、回収に際し他人の手を煩わせるくらいだ、と思うのだった。
騾馬はもちろん自身の未来も見通せたから、ひとつところに集められ、脚を叩き折られて海に沈められるという悲惨な死を予感することができた。したがってある晩、騾馬は渾身の力を込めて男を踏み殺し、それを咎める別の人間たちから一息に撲殺された。こうして男と騾馬は、騾馬の見通した未来と別の死を迎えることになった。
思い出し方はその時々の気分だが、作中ではただのエピソードにしかすぎないし、わたしもふだんは忘れているし、思い出してもじきに忘れる。
だがこんな無惨な死に方はなく、このことだけを生涯考えたっていいのだ。騾馬の脚の骨を打ち砕く道具や、現場の有能な兵士から考案されたであろう、効率的に作業を遂行するための方法について。作業中に発せられる音や臭い。作業を終えたあとに交わされた会話。海へ落下していく騾馬たちと、生涯家畜として使役される騾馬たちとの差異。あるいは、わたしたちとの差異。騾馬のなりたちや、騾馬の未来。溺死に向かう騾馬の一匹一匹の苦痛の克明な描写。その描写と、騾馬の苦しみとの無関係さ。当日の天気と気温。潮風や土煙、水飛沫。作業が戦争に与えた影響。作業がそれに従事した兵士たちに与えた影響。作業が騾馬たちに与えた影響……
でもわたしは、そういうようにはできていない。文学の効果によって、たまにこうして思い出し、騒がない心とともに、何かしらのひっかかりを感じつつも、それをうまく言い表すこともできず、言い表せたとしてもそれが何になるということもないので、いずれ忘れそしてまた思い出し、そうして、死んでいく。それが何するものぞ。オリンピック何するものぞ。わたしの日々の生活何するものぞ。騾馬の苦しみの総和何するものぞ。
…………
男と騾馬がいた。男は騾馬に対して、お前はあらかじめ不妊であるから、生きている意味といえば働くことくらいしかない、かわいそうに、といつも優しげにたてがみを撫でるのだった。
騾馬も、男の言うことはもっともだと思ったが、同時に騾馬は未来を見通す能力を持っていたので、男が子を成さずに、駆り出された戦場で炸裂弾によりバラバラにされること、爆風で吹き飛んで鉄条網にこびり付いた男の死体を、顔を顰めた他の兵士によって回収されること、それらの未来を瞳に映しては、男も自分と大して変わらず、生きている意味といえば、身体の個々の部位が判別不能な破片となって、回収に際し他人の手を煩わせるくらいだ、と思うのだった。
騾馬はもちろん自身の未来も見通せたから、ひとつところに集められ、脚を叩き折られて海に沈められるという悲惨な死を予感することができた。したがってある晩、騾馬は渾身の力を込めて男を踏み殺し、それを咎める別の人間たちから一息に撲殺された。こうして男と騾馬は、騾馬の見通した未来と別の死を迎えることになった。
まっすぐに地獄に
2009年11月16日 書かれえぬ書物の焚焼 コメント (2)
こんばんは! さようなら! ともだおれ!
もともとクラッシュは好きだったんだけど、図書館にあって気紛れに借りたライブ盤に収録されていた「Straight To Hell」を聴いて、ここまでかっこいいとは思わず、もう何だか胸がドキドキしてしまった。
Lily Allenのカヴァーも泣けるし、youtubeにある別バージョンのライブも震えちゃうし、サイコーサイコーとのぼせて友人にもその感動を伝えようと試みたら、でもいまここで聴く必然のない昔の曲を唐突にいいとか言われてもこっちとしては反応に困るよね正直、たとえばわたしが今更つの丸の「モンモンモン」ってマンガメチャ面白いよ読んでみて、とか言われても読む気しないでしょ、と冷や水を浴びせられ、それが余りにも全くその通りな、圧倒的に正しい意見だったので何も言い返せず、そうか言うなればわたしはアルコールに酔った帰り途に人恋しくなって都合いい相手に電話をするような、そんなしょうもないことをしたのだなあと一頻り反省したのだが、やっぱり誰かに伝えたい、どうすればいいのこんな気持ち、悲しみが雪のようにつもる夜に……と身悶えした挙句(関係ないですが「モンモンモン」の主人公モンモンの弟モンチャックは、高倉健の健と菅原文太の太をとって悶着と命名されたそうです)、ここにひっそりと書いておくことにしました。
わたしの愛するあなた、誰かは存じ上げませんが、機会があったら聴いてみてください。
もともとクラッシュは好きだったんだけど、図書館にあって気紛れに借りたライブ盤に収録されていた「Straight To Hell」を聴いて、ここまでかっこいいとは思わず、もう何だか胸がドキドキしてしまった。
Lily Allenのカヴァーも泣けるし、youtubeにある別バージョンのライブも震えちゃうし、サイコーサイコーとのぼせて友人にもその感動を伝えようと試みたら、でもいまここで聴く必然のない昔の曲を唐突にいいとか言われてもこっちとしては反応に困るよね正直、たとえばわたしが今更つの丸の「モンモンモン」ってマンガメチャ面白いよ読んでみて、とか言われても読む気しないでしょ、と冷や水を浴びせられ、それが余りにも全くその通りな、圧倒的に正しい意見だったので何も言い返せず、そうか言うなればわたしはアルコールに酔った帰り途に人恋しくなって都合いい相手に電話をするような、そんなしょうもないことをしたのだなあと一頻り反省したのだが、やっぱり誰かに伝えたい、どうすればいいのこんな気持ち、悲しみが雪のようにつもる夜に……と身悶えした挙句(関係ないですが「モンモンモン」の主人公モンモンの弟モンチャックは、高倉健の健と菅原文太の太をとって悶着と命名されたそうです)、ここにひっそりと書いておくことにしました。
わたしの愛するあなた、誰かは存じ上げませんが、機会があったら聴いてみてください。
ベルリン通りの方へ
2007年2月19日 書かれえぬ書物の焚焼 コメント (3)
図書館から借りてきた本をたぐっていたら、なかほどに航空チケットの半券が挟まっているのを見付けた。ルフトハンザ航空、フランクフルト行き。さきの借り手がしおりの代わりにして忘れたのか、単に偶然の糸がもつれてその場にとどまっただけか、しかしそれの存在によってにわかに他から際立ちはじめる見開きは、そこに記されている文章がわたしの気に入ったこともあって、よりによって選ばれたものだという確信が芽生えてくる。
「新生児を、その目を覚まさせないようにしながら、胸に抱き寄せる母親のように、人生は、幼年時代のまだかよわいままの思い出を、長いあいだ胸に抱きしめている。そんなぼくの思い出を、何よりも親密に養ってくれたものは、幾度もの中庭の眺めだった。中庭に面した仄暗いロッジアのひとつ、夏になると日除けの庇が影を投げるところが、ぼくにとっては、都市の新しい市民となったぼくがそこに置かれた、揺り籠だったのである。すぐ上の階のロッジアを支えている人像柱たち、この石造りの娘たちは、一瞬その持ち場を離れて、ぼくの揺り籠のかたわらで、歌を歌ってくれたのではなかったろうか。その歌は、後年のぼくを待ち受けていたものを、ほとんど告げ知らせてはくれなかったけれども、その代わりに、中庭というものの空気をその後もずっとぼくに魅惑的なものとすることになる言葉を、秘めていたように思われる(p.263)」
この書物のこのページに半券を差し込んだ彼/女は、フランクフルトに向かう飛行機の、みなが寝静まっているなかで、このページに行き着いたのかもしれなかった。もしかしたら。冷え込みが足もとからのぼってくる。ブランケットを膝にかけて、自身もまどろみへと傾斜していきつつも、件の文章に目をとめて、幾らかの考えを巡らせ、航空券をそこに挟む。もしかしたら、彼/女自身の幼年時代の思い出とそれを養った眺めについて、思いを馳せてみたり、したかも。――わたしにとってのそれは集合住宅のならぶ高台(と、牛乳パン、首からぶらさげた蚊取り線香、泡だて器、火遊びとマッチの匂い……)で、それについては前に書いた。
彼/女はきっと女性で、通路に面した席に腰を下ろしているために、夜の闇と、窓に反射した機内の様子以外は何も映っていない景色の方に眼を向けて時間を持て余すこともできないので、読み止しの書物にふたたび目を落とす。
ドイツへは、ドレスデンに長期出張している友人に会いにいく。卒業旅行で行ったきりなので、とても楽しみ(そのとき付き合っていた彼に、お土産はテクノミュージックのコンピを何でもいいから適当に見繕ってよろしくと頼まれたので、レーマー広場からベルリン通りの方へ向かう途中の中古レコード屋でそれらしい雰囲気のものを幾つか買って帰ると、これ全部ハウスのCDじゃねーか、と詰られて恥ずかしい思いをしたことがあった)。――そういえば、ドイツとハウスミュージックつながりで思い出したのだけれど、わたしの友人であるところのドイツ文学好きの彼女が昔付き合っていた、高橋源一郎に似ているともっぱらの噂の男の子がいて、ひとづてに誘われていったイベントで彼と多少話した際に、「僕はプラトンよりアリストテレスの方が偉大だと思うね、あいつの哲学の方がひろがりがあるよ」「『フィネガンズ・ウェイク』はマジやばいっしょ」みたいなことを喋っていた、ということをなぜだかずっと忘れずにいる。わたしも適当に相槌を打って、彼の話のつづきをうながしていたので、ほとんど同罪ではあるのだけれど。
通路を隔てたとなりの、年の頃50に手が届きそうな中年の女性――幾つだって構わないのだけれど――が身体の位置をずらした際に、眠りの世界に彼女をひきとめるための暖を保っていたブランケットが床に落ち、熟睡しているのか女性はそれに気が付かなかったようで、拾おうかとも考えたが、こちらから手を伸ばすには彼女の足が邪魔になる位置にブランケットが皺を作っているので、やっぱり諦めて、書物の世界へみたび帰っていく。往時の彼が憎んでいたハウスミュージックの一節が不意によみがえってきたりしながら。
「高架線を電車が走ったり、住人が絨毯を叩いたりする物音のリズムが、子守歌のように、ぼくを眠りに誘った。そのリズムに浸されて、僕の夢という夢は育てられた。最初は形をなさない夢、たぶん水の流れとかミルクの匂いとかで満たされていた夢。つぎに長く紡がれてゆく夢、旅の夢や雨の夢。中庭では、春は灰色の背景の前に、最初の芽吹きを繰り広げた。季節が進んで、埃をかぶった群葉が屋根状に拡がり、日に千度も建物の壁と触れ合うようになると、枝々の立てる音は、ぼくに何かを教えるかのようだった。といっても、ぼくはその教えをまだ解読できはしなかったが。じっさい、中庭では何もかもが、ぼくには何かの合図だったのだ。捲き上げられる緑色のブラインドのざわめきのなかには、どれほど多くの知らせが、宿されていなかったろうか。そして、夕方になると引きおろされるシャッターの轟音のなかには、どれほど多くの、ぼくが利口にも解明せずにおいた悪い知らせが、秘められていたことだろう(pp.263-264)」
彼女は、あるいはこの書物を手に取ったひとびとは、これらを、あるいはあれら/それらをどのように読んだだろう? さまざまな、そうだったかもしれない可能性について想像しつつ、わたしは、忘れさられた航空券を、そのままにそのページに挟んでおくべきだと思った――わたしにとってのひとつの知らせ、その教えを解読できないできごとの痕跡を。
思ったのだが、そうすることがただしかったのだが、だが。どういった感情に襲われたのかいまでは忘れてしまったけれど(花粉症がはじまって、喉が痛むことに腹が立っていたせいかもしれない)、とにかくある衝動に駆られたわたしは、航空券をモスバーガーのゴミ箱に棄ててしまった。まもなく飛行機は、フランクフルト国際空港に到着するだろう。となりの女性はまだ、目を覚まさない。夢のなかにいるのだ。悪い知らせから、遠ざかろうとして。足もとのブランケットが、踏みつけられている。
「新生児を、その目を覚まさせないようにしながら、胸に抱き寄せる母親のように、人生は、幼年時代のまだかよわいままの思い出を、長いあいだ胸に抱きしめている。そんなぼくの思い出を、何よりも親密に養ってくれたものは、幾度もの中庭の眺めだった。中庭に面した仄暗いロッジアのひとつ、夏になると日除けの庇が影を投げるところが、ぼくにとっては、都市の新しい市民となったぼくがそこに置かれた、揺り籠だったのである。すぐ上の階のロッジアを支えている人像柱たち、この石造りの娘たちは、一瞬その持ち場を離れて、ぼくの揺り籠のかたわらで、歌を歌ってくれたのではなかったろうか。その歌は、後年のぼくを待ち受けていたものを、ほとんど告げ知らせてはくれなかったけれども、その代わりに、中庭というものの空気をその後もずっとぼくに魅惑的なものとすることになる言葉を、秘めていたように思われる(p.263)」
この書物のこのページに半券を差し込んだ彼/女は、フランクフルトに向かう飛行機の、みなが寝静まっているなかで、このページに行き着いたのかもしれなかった。もしかしたら。冷え込みが足もとからのぼってくる。ブランケットを膝にかけて、自身もまどろみへと傾斜していきつつも、件の文章に目をとめて、幾らかの考えを巡らせ、航空券をそこに挟む。もしかしたら、彼/女自身の幼年時代の思い出とそれを養った眺めについて、思いを馳せてみたり、したかも。――わたしにとってのそれは集合住宅のならぶ高台(と、牛乳パン、首からぶらさげた蚊取り線香、泡だて器、火遊びとマッチの匂い……)で、それについては前に書いた。
彼/女はきっと女性で、通路に面した席に腰を下ろしているために、夜の闇と、窓に反射した機内の様子以外は何も映っていない景色の方に眼を向けて時間を持て余すこともできないので、読み止しの書物にふたたび目を落とす。
ドイツへは、ドレスデンに長期出張している友人に会いにいく。卒業旅行で行ったきりなので、とても楽しみ(そのとき付き合っていた彼に、お土産はテクノミュージックのコンピを何でもいいから適当に見繕ってよろしくと頼まれたので、レーマー広場からベルリン通りの方へ向かう途中の中古レコード屋でそれらしい雰囲気のものを幾つか買って帰ると、これ全部ハウスのCDじゃねーか、と詰られて恥ずかしい思いをしたことがあった)。――そういえば、ドイツとハウスミュージックつながりで思い出したのだけれど、わたしの友人であるところのドイツ文学好きの彼女が昔付き合っていた、高橋源一郎に似ているともっぱらの噂の男の子がいて、ひとづてに誘われていったイベントで彼と多少話した際に、「僕はプラトンよりアリストテレスの方が偉大だと思うね、あいつの哲学の方がひろがりがあるよ」「『フィネガンズ・ウェイク』はマジやばいっしょ」みたいなことを喋っていた、ということをなぜだかずっと忘れずにいる。わたしも適当に相槌を打って、彼の話のつづきをうながしていたので、ほとんど同罪ではあるのだけれど。
通路を隔てたとなりの、年の頃50に手が届きそうな中年の女性――幾つだって構わないのだけれど――が身体の位置をずらした際に、眠りの世界に彼女をひきとめるための暖を保っていたブランケットが床に落ち、熟睡しているのか女性はそれに気が付かなかったようで、拾おうかとも考えたが、こちらから手を伸ばすには彼女の足が邪魔になる位置にブランケットが皺を作っているので、やっぱり諦めて、書物の世界へみたび帰っていく。往時の彼が憎んでいたハウスミュージックの一節が不意によみがえってきたりしながら。
「高架線を電車が走ったり、住人が絨毯を叩いたりする物音のリズムが、子守歌のように、ぼくを眠りに誘った。そのリズムに浸されて、僕の夢という夢は育てられた。最初は形をなさない夢、たぶん水の流れとかミルクの匂いとかで満たされていた夢。つぎに長く紡がれてゆく夢、旅の夢や雨の夢。中庭では、春は灰色の背景の前に、最初の芽吹きを繰り広げた。季節が進んで、埃をかぶった群葉が屋根状に拡がり、日に千度も建物の壁と触れ合うようになると、枝々の立てる音は、ぼくに何かを教えるかのようだった。といっても、ぼくはその教えをまだ解読できはしなかったが。じっさい、中庭では何もかもが、ぼくには何かの合図だったのだ。捲き上げられる緑色のブラインドのざわめきのなかには、どれほど多くの知らせが、宿されていなかったろうか。そして、夕方になると引きおろされるシャッターの轟音のなかには、どれほど多くの、ぼくが利口にも解明せずにおいた悪い知らせが、秘められていたことだろう(pp.263-264)」
彼女は、あるいはこの書物を手に取ったひとびとは、これらを、あるいはあれら/それらをどのように読んだだろう? さまざまな、そうだったかもしれない可能性について想像しつつ、わたしは、忘れさられた航空券を、そのままにそのページに挟んでおくべきだと思った――わたしにとってのひとつの知らせ、その教えを解読できないできごとの痕跡を。
思ったのだが、そうすることがただしかったのだが、だが。どういった感情に襲われたのかいまでは忘れてしまったけれど(花粉症がはじまって、喉が痛むことに腹が立っていたせいかもしれない)、とにかくある衝動に駆られたわたしは、航空券をモスバーガーのゴミ箱に棄ててしまった。まもなく飛行機は、フランクフルト国際空港に到着するだろう。となりの女性はまだ、目を覚まさない。夢のなかにいるのだ。悪い知らせから、遠ざかろうとして。足もとのブランケットが、踏みつけられている。
ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン
2007年2月18日 書かれえぬ書物の焚焼
「「わかった」とあの方は言われました、「だが神々に祈りを捧げることだけなら許されるだろうし、またしなければならない、この世からあの世への旅が幸せであるようにとね。これが僕の祈りだ、どうかかなえられますように」
こう言われると同時に、あの方は杯を口にあてて、いとも無造作に、平然と飲みほされました。
僕たちの多くは、それまではどうやら涙をこらえていることができましたが、あの方が飲まれるのを、すっかり飲んでしまわれたのを見ると、どうにも我慢ができなくなってしまいました。僕自身も、抑えても、抑えても涙が溢れてきて、顔を覆って泣きました。あの方のためにというよりは、このような友を奪われるわが身の運命を嘆いてです。
クリトーンが僕よりも先に涙を抑えきれなくなって、立ってゆかれました。アポロドートスはといえば、さっきからずっと涙を流しつづけていましたが、とうとうそのとき、あまりの悲嘆に、わっと大声をあげて泣き出し、そこにいあわせた人々の心を引裂きました、ソークラテースご自身を除いてね。
「何ということをするのだ、あきれた人たちだね」とあの方は言われました、「僕が女たちを家へかえしたのも、おおかたはこんな間違いをしでかさないようにとの心づかいからだったのだ。人は心静かに死ぬべきだと聞いているものだから。さあ落着いて、挫けないでいてくれたまえ」」(『パイドーン』p.229)
こう言われると同時に、あの方は杯を口にあてて、いとも無造作に、平然と飲みほされました。
僕たちの多くは、それまではどうやら涙をこらえていることができましたが、あの方が飲まれるのを、すっかり飲んでしまわれたのを見ると、どうにも我慢ができなくなってしまいました。僕自身も、抑えても、抑えても涙が溢れてきて、顔を覆って泣きました。あの方のためにというよりは、このような友を奪われるわが身の運命を嘆いてです。
クリトーンが僕よりも先に涙を抑えきれなくなって、立ってゆかれました。アポロドートスはといえば、さっきからずっと涙を流しつづけていましたが、とうとうそのとき、あまりの悲嘆に、わっと大声をあげて泣き出し、そこにいあわせた人々の心を引裂きました、ソークラテースご自身を除いてね。
「何ということをするのだ、あきれた人たちだね」とあの方は言われました、「僕が女たちを家へかえしたのも、おおかたはこんな間違いをしでかさないようにとの心づかいからだったのだ。人は心静かに死ぬべきだと聞いているものだから。さあ落着いて、挫けないでいてくれたまえ」」(『パイドーン』p.229)
詩に背く?
2007年1月1日 書かれえぬ書物の焚焼 一
落下傘がひらく。
じゆつなげに、
旋花(ひるがほ)のやうに、しをれもつれて。
青天にひとり泛びたゞよふ
なんといふこの淋しさだ。
雹や
雷の
かたまる雲。
月や虹の映る天体を
ながれるパラソルの
なんといふたよりなさだ。
だが、どこへゆくのだ。
どこへゆきつくのだ。
おちこんでゆくこの速さは
なにごとだ。
なんのあやまちだ。
二
この足のしたにあるのはどこだ。
……わたしの祖国!
さいはひなるかな。わたしはあそこで生れた。
戦捷の国。
父祖のむかしから
女たちの貞淑な国。
もみ殻や、魚の骨。
ひもじいときにも微笑む
躾け。
さむいなりふり
有情(あわれ)な風物。
あそこには、なによりわたしの言葉がすつかり通じ、かほいろの底の意味までわかりあふ、
額の狭い、つきつめた眼光、肩骨のとがつた、なつかしい朋党達がゐる。
「もののふの
たのみあるなかの
酒宴かな。」
洪水(でみづ)のなかの電柱。
草ぶきの廂にも
ゆれる日の丸。
さくらしぐれ。
石理(きめ)あたらしい
忠魂碑。
義理人情の並ぶ家庇。
盆栽。
おきものの富士。
三
ゆらりゆらりとおちてゆきながら
目をつぶり、
双つの足うらをすりあはせて、わたしは祈る。
「神さま。
どうぞ。まちがひなく、ふるさとの楽土につきますやうに。
風のまにまに、海上にふきながされてゆきませんやうに。
足のしたが、刹那にかききえる夢であつたりしませんやうに。
万一、地球の引力にそつぽむかれて、落ちても、落ちても、着くところがないやうな、
悲しいことになりませんやうに。」
(「落下傘」金子光晴)
落下傘がひらく。
じゆつなげに、
旋花(ひるがほ)のやうに、しをれもつれて。
青天にひとり泛びたゞよふ
なんといふこの淋しさだ。
雹や
雷の
かたまる雲。
月や虹の映る天体を
ながれるパラソルの
なんといふたよりなさだ。
だが、どこへゆくのだ。
どこへゆきつくのだ。
おちこんでゆくこの速さは
なにごとだ。
なんのあやまちだ。
二
この足のしたにあるのはどこだ。
……わたしの祖国!
さいはひなるかな。わたしはあそこで生れた。
戦捷の国。
父祖のむかしから
女たちの貞淑な国。
もみ殻や、魚の骨。
ひもじいときにも微笑む
躾け。
さむいなりふり
有情(あわれ)な風物。
あそこには、なによりわたしの言葉がすつかり通じ、かほいろの底の意味までわかりあふ、
額の狭い、つきつめた眼光、肩骨のとがつた、なつかしい朋党達がゐる。
「もののふの
たのみあるなかの
酒宴かな。」
洪水(でみづ)のなかの電柱。
草ぶきの廂にも
ゆれる日の丸。
さくらしぐれ。
石理(きめ)あたらしい
忠魂碑。
義理人情の並ぶ家庇。
盆栽。
おきものの富士。
三
ゆらりゆらりとおちてゆきながら
目をつぶり、
双つの足うらをすりあはせて、わたしは祈る。
「神さま。
どうぞ。まちがひなく、ふるさとの楽土につきますやうに。
風のまにまに、海上にふきながされてゆきませんやうに。
足のしたが、刹那にかききえる夢であつたりしませんやうに。
万一、地球の引力にそつぽむかれて、落ちても、落ちても、着くところがないやうな、
悲しいことになりませんやうに。」
(「落下傘」金子光晴)
モオツァルト・無常という事
2006年11月4日 書かれえぬ書物の焚焼
「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉のようにかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家は、モオツァルトの後にも先きにもない。まるで歌声の様に、低音部のない彼の短い生涯を駈け抜ける。彼はあせってもいないし急いでもいない。彼の足どりは正確で健康である。彼は手ぶらで、裸で、余計な重荷を引摺っていないだけだ。彼は悲しんではいない。ただ孤独なだけだ。孤独は、至極当り前な、ありのままの命であり、でっち上げた孤独に伴う嘲笑や皮肉の影さえない」(p.41,『モオツァルト・無常ということ』)
ハチミツとクローバー
2006年10月12日 書かれえぬ書物の焚焼
すこし前に読了して、これについて何か語りたいという欲望をしばらくのあいだ保持していたのだけれど、そのうちに消えてしまった。いずれにしても、わたしなどが語っても仕方がなかったろうと思う。なのでひとつだけ。と書きはじめたら結局長くなってしまった。
ヒロインふたりのうち、「はぐちゃん」こと花本はぐみは、初登場時には性別の未分化な小動物のようで、人間的魅力にとぼしい単なる不思議ちゃんだったのだが、最終巻にいたり、絶望的な怪我をのりこえるにあたって、恋愛よりも自己実現よりも、自身の真正直な生を肯定するような選択をし、他者を犠牲にしてもそれを引き受けようとするまでの強さを示すようになる。そのさまは感動的だし、それがあることでよりラストの竹本くんのセリフが感慨深いものになろう。竹本くんにはわたしも泣いた。だからそのことはいい。
だがもう一方の「山田さん」こと山田あゆみはどうだろう。もともと彼女は容姿、才能ともに恵まれ、性格も良く、男性からものすごくモテるにも関わらず、ずっと真山くん一筋で、なのにアルコールを摂取すると途端に無防備になり媚態をさらすので、合コン仲間の女性たちから恐れられているような、そんなどうしようもなく都合の良いパーソナリティの女性だった。
それが、物語が進み、真山くんに完璧にフラれてしまって、新しく出会ったデザイン事務所の野宮さんとなし崩しに恋愛関係を形成すると、「野宮さん」「何だい?」「私たち一緒に いない方が いいんでしょうか?」「どうして?」「だって私 いつまでも 真山から 逃げられなくて……そんな簡単に 切り替え られなくて……で 野宮さんを 何度もイヤな気持ちに させて…… だから……」みたいなやりとりを交わし、自分から切り出しておきながら、そんな風にいうのなら、と野宮さんに別れを告げられると、まるで予想外の反応をされたかのような顔をし、次いで泣き出してしまう。
このシーンのみ抜き出したところでうまく伝わらないかもしれないけれど、当該の箇所を、恋愛の切なさを描いたものとしてとらえるべきではない(そのすぐあとに「――って答えると そーやって ベソかくわけでしょう?」と野宮さんに突っ込まれ、ことなきを得ている)。
そうではなく、山田さんが、?自分に圧倒的な選択権があることを(無意識的にせよ)知っていて、その優位を盾に相手を試すようなことをし、尚且つ、決定にともなう責任を忌避して、相手に選択をさせようとする。?そのくせ、相手の下した決定が気に入らない/思い通りにならないと、策を講じることもせずとりあえず泣いてしまう。という、非常に由々しき問題を内包したキャラクターとして造形されていることに注目しなくてはならない(泣くこと自体が悪いのではなく、彼女の涙は悲しみによるものでも切なさによるものでもなく、自己本位、無方策さのあらわれに過ぎないので問題だ、といっている)。
はぐちゃんもまた、絵筆を折らねばならないかもしれない状況――怪我に直面して涙を流す。だがそれはひとが絶望につきあたってただひたすら泣けてくる類の、悲しみを直截に悲しむ涙であり、山田さんの涙とは徹底的に違うものだ(山田さんもかつて、真山くんにフラれたときに、そのような涙を経験したはずだった。なのにそれを忘却して、単なるエゴイズムのなかにとどまってしまう)。その上で絶望を乗り越えたはぐちゃんと、選択を放棄してしまった山田さんとの差異は更に明白であり、巷では山田さんかわいい切ないなどと持ち上げられているけれど、ノーノーそんなことない、と主張したいのでした。私怨じゃないですよこれ。
ヒロインふたりのうち、「はぐちゃん」こと花本はぐみは、初登場時には性別の未分化な小動物のようで、人間的魅力にとぼしい単なる不思議ちゃんだったのだが、最終巻にいたり、絶望的な怪我をのりこえるにあたって、恋愛よりも自己実現よりも、自身の真正直な生を肯定するような選択をし、他者を犠牲にしてもそれを引き受けようとするまでの強さを示すようになる。そのさまは感動的だし、それがあることでよりラストの竹本くんのセリフが感慨深いものになろう。竹本くんにはわたしも泣いた。だからそのことはいい。
だがもう一方の「山田さん」こと山田あゆみはどうだろう。もともと彼女は容姿、才能ともに恵まれ、性格も良く、男性からものすごくモテるにも関わらず、ずっと真山くん一筋で、なのにアルコールを摂取すると途端に無防備になり媚態をさらすので、合コン仲間の女性たちから恐れられているような、そんなどうしようもなく都合の良いパーソナリティの女性だった。
それが、物語が進み、真山くんに完璧にフラれてしまって、新しく出会ったデザイン事務所の野宮さんとなし崩しに恋愛関係を形成すると、「野宮さん」「何だい?」「私たち一緒に いない方が いいんでしょうか?」「どうして?」「だって私 いつまでも 真山から 逃げられなくて……そんな簡単に 切り替え られなくて……で 野宮さんを 何度もイヤな気持ちに させて…… だから……」みたいなやりとりを交わし、自分から切り出しておきながら、そんな風にいうのなら、と野宮さんに別れを告げられると、まるで予想外の反応をされたかのような顔をし、次いで泣き出してしまう。
このシーンのみ抜き出したところでうまく伝わらないかもしれないけれど、当該の箇所を、恋愛の切なさを描いたものとしてとらえるべきではない(そのすぐあとに「――って答えると そーやって ベソかくわけでしょう?」と野宮さんに突っ込まれ、ことなきを得ている)。
そうではなく、山田さんが、?自分に圧倒的な選択権があることを(無意識的にせよ)知っていて、その優位を盾に相手を試すようなことをし、尚且つ、決定にともなう責任を忌避して、相手に選択をさせようとする。?そのくせ、相手の下した決定が気に入らない/思い通りにならないと、策を講じることもせずとりあえず泣いてしまう。という、非常に由々しき問題を内包したキャラクターとして造形されていることに注目しなくてはならない(泣くこと自体が悪いのではなく、彼女の涙は悲しみによるものでも切なさによるものでもなく、自己本位、無方策さのあらわれに過ぎないので問題だ、といっている)。
はぐちゃんもまた、絵筆を折らねばならないかもしれない状況――怪我に直面して涙を流す。だがそれはひとが絶望につきあたってただひたすら泣けてくる類の、悲しみを直截に悲しむ涙であり、山田さんの涙とは徹底的に違うものだ(山田さんもかつて、真山くんにフラれたときに、そのような涙を経験したはずだった。なのにそれを忘却して、単なるエゴイズムのなかにとどまってしまう)。その上で絶望を乗り越えたはぐちゃんと、選択を放棄してしまった山田さんとの差異は更に明白であり、巷では山田さんかわいい切ないなどと持ち上げられているけれど、ノーノーそんなことない、と主張したいのでした。私怨じゃないですよこれ。
薔薇か、糞か
2006年9月13日 書かれえぬ書物の焚焼
のだけれど、うなだれるだなんて、またまたわざとらしい、といえばそのとおりなのだが、どうして先のようなことを考えたかといえば、端的にわたし自身も、知り合いのひとに指摘されたこととはあるいは別の意味かもしれないまでも、自分の日記に不自由さというか、息苦しさをもよおすようなしこりを感じてもいたからだ。
そしてまた、文章の背後にたくされたテーマや、なぜそれが書かれたかというようなモチーフ、なまじっか気取ったレトリックを必要としない、つまり書かれたものの必然をわざわざ仮構することなく、ややもすればぶっきらぼう、無作法なまでにただできごとや事実が書きつけられている(ように見える)、ちかくとおくのひとたちによってしたためられた記述、日記にまれに出会うたび、ある種の自由さを感じ、羨ましさを覚えることがあったから。
しかしこれは間違った、そうでなければ筋違いの嫉妬ではないか? わたしの羨望の対象を(安易だが)仮に書かれたものの自由さとでも名付けるとして、それがわたしの日記には全然ない、なぜならたまにしか日記を書かないために、書くものが残らずテーマやモチーフとすこしのレトリックにまみれてしまっているから、などと理由をでっちあげてみたところで、それはきっと全然正しくない。おそらくわたしが毎日の更新をこころみたところで、わたしの夢想する自由さからはむしろ遠ざかる一方だろう。
ことはわたしにかぎった話でもなく、日記やブログという表現形態は、目的なく書かれるというよりはつづけることが目的となって書かれていることが多く、それを果たすためにさまざまなテーマやモチーフを総動員させ、あげく『こち亀』や『ゴルゴ13』のように自己の模倣をくりかえし、様式化をきわめていくような事態に陥りがちではないだろうか。そうなればますます自由からはへだたれ、息苦しさ、酸素の薄さにも気付かないような緩慢な死を待つばかりではないか(だとしたら日記という表現の根底に、わざとらしくない、不自然でもない自由さを見つけることができるように考えるのは筋違いなのかもしれない)。
それはそれとして興味深いし果てには破格なものが顔をのぞかせているのかも解らないけれど、さしあたり、わたしが問題にしようとしている自由さと直截には触れあわないように思う。
だいたい、自由さといったところで適当に何も考えずに書かれたものはそれに妥当するとも思えず、たぶんわたしが問題にしたいのは/それについて語りたいと思わせるものは、そこにぬきさしならないこと、とんでもないことが書かれていることはどうやらこちらに直観的に了解しうるのだが、決してテーマやモチーフ、レトリックといったものに支えられているのではない、といってただそれらに背を向けているだけの、それらをいたずらに放棄したものでもない、そうではなくまったく異質な、言葉がそれ自体で自律しているかのような自由さなのだろう。
だとすれば、書かれたものの自由さとはとりもなおさず、スタイルの問題ではなかろうか。自由さを制限するものとしてのテーマやモチーフ、レトリックがそこより導きだされるところのスタイル=様式から自由であること(をもスタイルとしてしまう様式化の力から何より自由であること)。あるいは、スタイルの方向をこれまでとは異質なものの方へとさしむけること。
そうしてそれは意識的、自覚的に為されることなのかは、やはり解らない。無意識、無自覚の方がいいのかもとも思うが、途方もない努力の甲斐あってこそようやくはじまりが示されるような気もする。どうかすると、いずれの仕方とも無関係に、たまさか降って湧くようなできごとでしかないのかも。
なんてことをたらたら考えていくのはわたしにはそれなりに楽しいのだけれど、しかし以上のようであれば自由さとは、これは単に、まず何をさしおいても才能、それに応じた気概、根気の問題ではないかというような身も蓋もない思いもようよう芽生えてくる。つまりたとえば、おもむろに藁塚や、ナイル川の氾濫、アパートの契約切れパーティーなどの話をはじめて、様式化の力に抗いつつそれらを自由さとむすびつけられること。これが可能なひとは、日記を毎日欠かさず付けようが小説や詩を書こうが、当然もとから、いつだって自由さとともにあるのでは? 彼ら/彼女らは酸素が薄かろうが、別の気体を吸いこんで、ますます横暴さとともに自由を謳歌しつづけるのでは?
日記から、ずいぶん話が飛躍して逸れてしまった。
まあ要するに、自分に関してだけいえば、逆ヤオイ系(ヤマありオチありイミあり)の呪縛が骨身に沁みて不自由極まりないわたしは、先達て書いた日記のありうべきすがたにはどうやっても行き着くまいし、自由さと仲良くすることもかなわないでしょう。くわえて自由さについて、不自由さの煮凝りのような言説で語るわたしは、ほんとう、間違い屋なんでしょうね。
そしてまた、文章の背後にたくされたテーマや、なぜそれが書かれたかというようなモチーフ、なまじっか気取ったレトリックを必要としない、つまり書かれたものの必然をわざわざ仮構することなく、ややもすればぶっきらぼう、無作法なまでにただできごとや事実が書きつけられている(ように見える)、ちかくとおくのひとたちによってしたためられた記述、日記にまれに出会うたび、ある種の自由さを感じ、羨ましさを覚えることがあったから。
しかしこれは間違った、そうでなければ筋違いの嫉妬ではないか? わたしの羨望の対象を(安易だが)仮に書かれたものの自由さとでも名付けるとして、それがわたしの日記には全然ない、なぜならたまにしか日記を書かないために、書くものが残らずテーマやモチーフとすこしのレトリックにまみれてしまっているから、などと理由をでっちあげてみたところで、それはきっと全然正しくない。おそらくわたしが毎日の更新をこころみたところで、わたしの夢想する自由さからはむしろ遠ざかる一方だろう。
ことはわたしにかぎった話でもなく、日記やブログという表現形態は、目的なく書かれるというよりはつづけることが目的となって書かれていることが多く、それを果たすためにさまざまなテーマやモチーフを総動員させ、あげく『こち亀』や『ゴルゴ13』のように自己の模倣をくりかえし、様式化をきわめていくような事態に陥りがちではないだろうか。そうなればますます自由からはへだたれ、息苦しさ、酸素の薄さにも気付かないような緩慢な死を待つばかりではないか(だとしたら日記という表現の根底に、わざとらしくない、不自然でもない自由さを見つけることができるように考えるのは筋違いなのかもしれない)。
それはそれとして興味深いし果てには破格なものが顔をのぞかせているのかも解らないけれど、さしあたり、わたしが問題にしようとしている自由さと直截には触れあわないように思う。
だいたい、自由さといったところで適当に何も考えずに書かれたものはそれに妥当するとも思えず、たぶんわたしが問題にしたいのは/それについて語りたいと思わせるものは、そこにぬきさしならないこと、とんでもないことが書かれていることはどうやらこちらに直観的に了解しうるのだが、決してテーマやモチーフ、レトリックといったものに支えられているのではない、といってただそれらに背を向けているだけの、それらをいたずらに放棄したものでもない、そうではなくまったく異質な、言葉がそれ自体で自律しているかのような自由さなのだろう。
だとすれば、書かれたものの自由さとはとりもなおさず、スタイルの問題ではなかろうか。自由さを制限するものとしてのテーマやモチーフ、レトリックがそこより導きだされるところのスタイル=様式から自由であること(をもスタイルとしてしまう様式化の力から何より自由であること)。あるいは、スタイルの方向をこれまでとは異質なものの方へとさしむけること。
そうしてそれは意識的、自覚的に為されることなのかは、やはり解らない。無意識、無自覚の方がいいのかもとも思うが、途方もない努力の甲斐あってこそようやくはじまりが示されるような気もする。どうかすると、いずれの仕方とも無関係に、たまさか降って湧くようなできごとでしかないのかも。
なんてことをたらたら考えていくのはわたしにはそれなりに楽しいのだけれど、しかし以上のようであれば自由さとは、これは単に、まず何をさしおいても才能、それに応じた気概、根気の問題ではないかというような身も蓋もない思いもようよう芽生えてくる。つまりたとえば、おもむろに藁塚や、ナイル川の氾濫、アパートの契約切れパーティーなどの話をはじめて、様式化の力に抗いつつそれらを自由さとむすびつけられること。これが可能なひとは、日記を毎日欠かさず付けようが小説や詩を書こうが、当然もとから、いつだって自由さとともにあるのでは? 彼ら/彼女らは酸素が薄かろうが、別の気体を吸いこんで、ますます横暴さとともに自由を謳歌しつづけるのでは?
日記から、ずいぶん話が飛躍して逸れてしまった。
まあ要するに、自分に関してだけいえば、逆ヤオイ系(ヤマありオチありイミあり)の呪縛が骨身に沁みて不自由極まりないわたしは、先達て書いた日記のありうべきすがたにはどうやっても行き着くまいし、自由さと仲良くすることもかなわないでしょう。くわえて自由さについて、不自由さの煮凝りのような言説で語るわたしは、ほんとう、間違い屋なんでしょうね。
わざとらしい感慨
2006年9月10日 書かれえぬ書物の焚焼
ちかごろはつくづく、ブログはともかく日記というものは、毎日かそれに近い頻度で書かれることにこそ、必然があるのだなあと思う。わたしのブログを読んでくださった知り合いのひとから、何というかわざとらしい、と評されたことがあり、そりゃあわたしのブログはそれについて書きたい何事かが起きたり、ふと心に浮かんだ考えの断片をあらためて整理してみたくなったり、そんなときに思いついて書かれるようなタイプのものだから、作為めいて見えるのはご愛敬、とわたしとしては反論のひとつもしたかったけれど、いわゆる創作やエッセイと、日記とをあえて対比させてみれば、後者のいとなみの可能性の中心にあるものは、書かれるべきことがら(の中心)を持たないままに、なかば永遠に終わりなく書き連ねられていくことにあるのではないかしら、そこには、書かれる必然がない、ささいな日常と名指すのも不穏当な何事かが書き付けられているのみであって、ひとは記憶の不埒なふるまいを防ぐために、などと日記を綴る目的を語ったりもするけれど、実のところは読み返されることも参照されることも少ない、それこそ特筆すべきことが何も起こらなかった日の記述のすげなさが日記の正当なすがたなのだとしたら――などと考えたりもして、ひとりうなだれている、
スカートのなかから
2006年8月18日 書かれえぬ書物の焚焼
ギュンター・グラスが第2次世界大戦末期にナチスの親衛隊に所属していたことが、61年の時を経て、本人の口から明らかにされたという。ドイツ国内ではそれに対する批判や失望の声が相次ぎ、ノーベル賞をはじめとした文学賞の返還、名誉市民の称号の返上を求める声などがわき起こっているそう。
はじめにこのニュースを耳にしたとき、何がそこまでの反応をひき起こしているのか、いまいちピンとこなかった。たとえば14日の時事通信の記事に、(元ポーランド大統領の)「ワレサ氏は14日付の独大衆紙ビルトに掲載されるインタビューで、グラス氏の告白に困惑していると語った。また、グラス氏が親衛隊に所属していたことが分かっておれば、名誉市民の栄誉を授けられることはなかっただろうとして、グラス氏自身が名誉市民の称号を返上するのが最良の方法だと述べている」と書かれているのだが、そのような意見にわりあい単純な違和感を覚えたためだ。
というのも、確かに名誉市民という称号の性格を鑑みれば、いかなる功績があったとしてもナチス出身の者には与えられない、というようなものであっても仕方がないとは思う。思うのだけれど、一般論として、名誉市民だったりノーベル賞だったりといった栄誉とは、グラスの文学における仕事、その文学的価値に対して与えられたものであって、それは彼がナチスに所属していたことがいまになって明るみに出ようが、もしくは(同じことだが)ナチスに所属していた事実が過去にあったとしても、少しも変化することがないもののはずだろう。端的に、(ナチスに所属していたという)過去は語られるまでもなくはじめからあったのだし、作品もすでに書かれてしまっているのだから、と。名誉市民はともかく、その文学的功績まで剥奪されるいわれはないのではないかしら、と。
だけれど、いかにもドイツ人然としたグラスの顔を眺めたりしつつもうちょっと考えてみるに、そのように片付けてしまうだけでは、ただしく問題を捉えたことにならないのかもしれない、と思うにいたった。
18日の朝日新聞はこう書く。「ナチス研究の第一人者の作家ヨアヒム・フェスト氏は「一貫してナチスを批判しドイツのあるべき姿を唱えたグラス氏だが、もはや信じられない」と批判。独ユダヤ人中央評議会のクノーブロッホ会長も「ナチスの罪を批判してきた評論や演説は一体なんだったのか」とコメントした」。そしてわたしは、これらから何を読むべきだろうか。
もしかしたらこんなことはまったく当たり前のことでわざわざ書くまでもないのかもしれないけれど、ここで「信じられない」「一体なんだったのか」と嘆かれていることの本質とはおそらく、グラスがかつてナチ親衛隊に所属していたという事実そのものではなく、ナチスに所属していたという過去を隠蔽し、それについての反省も済ませないまま(反省とはここでは罰を与えられること、社会的制裁をすすんで受けることをも意味するだろう)、つまりみずからを対象に含めないままに、文学の名のもとにナチスを断罪してきたという欺瞞に対してのものだったろう。
そのように考えるとすれば、ナチス批判をひとつの本質とする彼の文学活動――およびその結果としての作品――が、出発からしてつねに瞞着にいろどられていたということになろうし、それゆえ彼への信頼が揺らいでしまうこともむべなるかな、文学的な功績が減じてしまっても多少はやむをえないのかもしれないのだった(もちろんどのような背景があるにせよ作品と作者は別物だ、という言い方もできるだろう。だけれどもその作品の「価値」「功績」などといった作品の外のことを語りはじめるとすれば、歴史的、政治的な視点の導入が必然として求められるだろうと、いまのわたしはとりあえず考えておるです)。
それにしてもこれは考えてみれば簡単な話で、ワシントンの伝記などでもおなじみの、問われるべきは罪を犯してしまったことそれ自体ではなく、それへの反省の有無であるということに過ぎないわけだ。それでもこの問題がわたしの関心を惹くのは、そこにあらわれてくる逆説のいたましさであって、どういうことかといえば、何らかの原因によって罪を告白する最適な機会を逸してしまったひとは、いつの間にか罪の負債が恐ろしく膨らんで、そのあとにいくら悔い改めても決して当初のように赦されることはないということ――。そして、いつが最適な機会なのかなどということは自分にも他人にも解りはしないのだから、ましてやそれが人生を左右するような決定的な過ちだったとすれば、ほとんどの人間はチャンスを逃してしまうことになるということ――。だとしたらいっそのこと罪をずっと告白せず、秘密のままに墓のなかまで抱えていくことができればそれがもっとも賢い手段なのかもしれないが、にもかかわらず、ノーベル賞作家グラスはそれができなかったということ――。
グラスは秘密の打ち明けに際して、「やっと「過去」を告白できた」と語ったという。彼がいまなぜ告白することを決断したのか、それは解らない。自責の念に耐え切れなかったのかもしれないし、第三者によって暴かれる前に自分から、とでも思ったのかもしれない。あるいは(ポール・ド・マンのように)死後の生の名誉が汚されることを厭ったのかもしれない。
けれどもどうであれ、自分が犯してしまった過去の罪について、忘れさることはともかく隠しとおすことはそこまで難しいことではないだろう(異論はあるだろうけど、わたしはそう考える)。それにくらべれば、いまになって告白することの方が幾分か辛いことだっただろうな、もうおじいちゃんだし、などと思うのだったわたしグラスちゃんと読んでみようスカートのなかへ。
はじめにこのニュースを耳にしたとき、何がそこまでの反応をひき起こしているのか、いまいちピンとこなかった。たとえば14日の時事通信の記事に、(元ポーランド大統領の)「ワレサ氏は14日付の独大衆紙ビルトに掲載されるインタビューで、グラス氏の告白に困惑していると語った。また、グラス氏が親衛隊に所属していたことが分かっておれば、名誉市民の栄誉を授けられることはなかっただろうとして、グラス氏自身が名誉市民の称号を返上するのが最良の方法だと述べている」と書かれているのだが、そのような意見にわりあい単純な違和感を覚えたためだ。
というのも、確かに名誉市民という称号の性格を鑑みれば、いかなる功績があったとしてもナチス出身の者には与えられない、というようなものであっても仕方がないとは思う。思うのだけれど、一般論として、名誉市民だったりノーベル賞だったりといった栄誉とは、グラスの文学における仕事、その文学的価値に対して与えられたものであって、それは彼がナチスに所属していたことがいまになって明るみに出ようが、もしくは(同じことだが)ナチスに所属していた事実が過去にあったとしても、少しも変化することがないもののはずだろう。端的に、(ナチスに所属していたという)過去は語られるまでもなくはじめからあったのだし、作品もすでに書かれてしまっているのだから、と。名誉市民はともかく、その文学的功績まで剥奪されるいわれはないのではないかしら、と。
だけれど、いかにもドイツ人然としたグラスの顔を眺めたりしつつもうちょっと考えてみるに、そのように片付けてしまうだけでは、ただしく問題を捉えたことにならないのかもしれない、と思うにいたった。
18日の朝日新聞はこう書く。「ナチス研究の第一人者の作家ヨアヒム・フェスト氏は「一貫してナチスを批判しドイツのあるべき姿を唱えたグラス氏だが、もはや信じられない」と批判。独ユダヤ人中央評議会のクノーブロッホ会長も「ナチスの罪を批判してきた評論や演説は一体なんだったのか」とコメントした」。そしてわたしは、これらから何を読むべきだろうか。
もしかしたらこんなことはまったく当たり前のことでわざわざ書くまでもないのかもしれないけれど、ここで「信じられない」「一体なんだったのか」と嘆かれていることの本質とはおそらく、グラスがかつてナチ親衛隊に所属していたという事実そのものではなく、ナチスに所属していたという過去を隠蔽し、それについての反省も済ませないまま(反省とはここでは罰を与えられること、社会的制裁をすすんで受けることをも意味するだろう)、つまりみずからを対象に含めないままに、文学の名のもとにナチスを断罪してきたという欺瞞に対してのものだったろう。
そのように考えるとすれば、ナチス批判をひとつの本質とする彼の文学活動――およびその結果としての作品――が、出発からしてつねに瞞着にいろどられていたということになろうし、それゆえ彼への信頼が揺らいでしまうこともむべなるかな、文学的な功績が減じてしまっても多少はやむをえないのかもしれないのだった(もちろんどのような背景があるにせよ作品と作者は別物だ、という言い方もできるだろう。だけれどもその作品の「価値」「功績」などといった作品の外のことを語りはじめるとすれば、歴史的、政治的な視点の導入が必然として求められるだろうと、いまのわたしはとりあえず考えておるです)。
それにしてもこれは考えてみれば簡単な話で、ワシントンの伝記などでもおなじみの、問われるべきは罪を犯してしまったことそれ自体ではなく、それへの反省の有無であるということに過ぎないわけだ。それでもこの問題がわたしの関心を惹くのは、そこにあらわれてくる逆説のいたましさであって、どういうことかといえば、何らかの原因によって罪を告白する最適な機会を逸してしまったひとは、いつの間にか罪の負債が恐ろしく膨らんで、そのあとにいくら悔い改めても決して当初のように赦されることはないということ――。そして、いつが最適な機会なのかなどということは自分にも他人にも解りはしないのだから、ましてやそれが人生を左右するような決定的な過ちだったとすれば、ほとんどの人間はチャンスを逃してしまうことになるということ――。だとしたらいっそのこと罪をずっと告白せず、秘密のままに墓のなかまで抱えていくことができればそれがもっとも賢い手段なのかもしれないが、にもかかわらず、ノーベル賞作家グラスはそれができなかったということ――。
グラスは秘密の打ち明けに際して、「やっと「過去」を告白できた」と語ったという。彼がいまなぜ告白することを決断したのか、それは解らない。自責の念に耐え切れなかったのかもしれないし、第三者によって暴かれる前に自分から、とでも思ったのかもしれない。あるいは(ポール・ド・マンのように)死後の生の名誉が汚されることを厭ったのかもしれない。
けれどもどうであれ、自分が犯してしまった過去の罪について、忘れさることはともかく隠しとおすことはそこまで難しいことではないだろう(異論はあるだろうけど、わたしはそう考える)。それにくらべれば、いまになって告白することの方が幾分か辛いことだっただろうな、もうおじいちゃんだし、などと思うのだったわたしグラスちゃんと読んでみようスカートのなかへ。
人形の家
2006年7月25日 書かれえぬ書物の焚焼
『人形の家』。弁護士の妻のノラが夫の病気を助けるために、夫に内緒で自身の父親の署名を偽造して借金をし、それがばれそうになって七転八倒、それでもばれちゃって夫は大激怒! 事件はあっけなく解決するのだけれど、ノラは冷たい夫に愛想をつかして家を出てしまう、というおおざっぱに言ってしまえばそんな内容の戯曲で、以前にこの作品を読んだときには、家庭のなかで父権的な夫に猫みたいに溺愛されて、それを甘んじて受け容れつつ借金の悩みをひとりかかえてどんどんテンパっていく作品前半のノラに比べて、クライマックスの、彼女が夫もこどもも捨て家を出ようとするシーンでのノラの描写が、いかにも硬直して魅力の乏しいものになってしまっている、文学的には失敗ではないか、という感想を抱いた。
けれどひさしぶりに読み返してみるに、このノラの片意地張った姿勢は、まったくもって正当な理由あってのものなのだ、と感じられたのだった。すくなくともいまのわたしにとっては。
というのも、ノラが夫のもとを離れひとりで生きていくことを決断し、実際にひとりきりで生きていくということは、彼女にとってすこしも幸福なことではないということを、彼女自身が何より身にしみて解っていたように思えたからだ。
家を出ようとするノラに向かって夫のヘルメルはいう。「お前にはこういう問題について間違いなく教えてくれる人は無いのか? お前には宗教というものがないのか?」(p.142)「宗教がお前を正しく導くことができないとしたら、こんどはひとつ、お前の良心に訴えてみよう。お前だって道徳心は持っているだろうからな? それとも、おい、――それも無いのか?」(p.143)。そのように彼は、信仰や良心に訴えかけて、ノラのおこないをいさめようとしている。これは『人形の家』を作品として成立させている当時の社会にとって、ノラのふるまいが、信仰や良心に照らしてそれに反するもの、つまり反社会的な行為そのものであったということを表すだろう。
だから夫に対して、ノラはこう答える。「世間の多くのひとたちはあなたのほうが正しいとするでしょうし、本にもそんなような事が書いてありましょう。それはあたしもよく存じております。でも世間の言う事や本に書いてある事では、あたしはもう満足していられません。あたしは自分一人でよく考えてみて、物事をはっきり弁えたいと思っています」(p.142)。ノラは、自分のとらざるを得ない行為が、反社会的なことだということをよく知っている。また、幸福とは共同体の内部に安住している状態の謂だということも。そして、共同体の掟を侵す者が、かならず社会から罰せられるということも。
してみれば彼女の硬直した態度、頑なさは、強権的な夫への怒り、諦めから来ているというよりも(昔のわたしはそのように読んだ)、自身の幸福をかなぐり捨ててでも共同体の外部へとおもむかなくてはならない、という悲壮な決意を表していたのではなかっただろうか。だとすれば、わたしは断然、ノラを支持する。ノラの頑なさを支持する。
戯曲の最後、泣きつくヘルメルに対してノラは、「あたしたち二人の共同生活が、そのままほんとうの夫婦生活になれる」(p.149)ような、そんな「奇蹟中の奇蹟」が現れることがあれば、またやりなおすことができるかもしれない、といって家を出ていく。ヘルメルがその言葉に一縷の望みを抱くところで物語は終わるのだけれど、ノラは「いいえ、あなた、あたしもうそんな奇蹟なんて信じませんわ」(p.149)といって、奇蹟のおとずれを信じようとはしないのだった(つまり「奇蹟中の奇蹟」とは、夫への気休めとして口にしたにすぎないのかもしれない)。
奇蹟という名の超越、ロマンを待ち望むことを断念すること。そして、起こりもしない奇蹟を持ち出してまで、こちら側へ何としても引き止めようとする社会へ<否定>=<いいえ>をさしだすこと。そのようなふるまいに、いまのわたしは勇気付けられる。たとえそれが、文学的な行為ではないとしても。
けれどひさしぶりに読み返してみるに、このノラの片意地張った姿勢は、まったくもって正当な理由あってのものなのだ、と感じられたのだった。すくなくともいまのわたしにとっては。
というのも、ノラが夫のもとを離れひとりで生きていくことを決断し、実際にひとりきりで生きていくということは、彼女にとってすこしも幸福なことではないということを、彼女自身が何より身にしみて解っていたように思えたからだ。
家を出ようとするノラに向かって夫のヘルメルはいう。「お前にはこういう問題について間違いなく教えてくれる人は無いのか? お前には宗教というものがないのか?」(p.142)「宗教がお前を正しく導くことができないとしたら、こんどはひとつ、お前の良心に訴えてみよう。お前だって道徳心は持っているだろうからな? それとも、おい、――それも無いのか?」(p.143)。そのように彼は、信仰や良心に訴えかけて、ノラのおこないをいさめようとしている。これは『人形の家』を作品として成立させている当時の社会にとって、ノラのふるまいが、信仰や良心に照らしてそれに反するもの、つまり反社会的な行為そのものであったということを表すだろう。
だから夫に対して、ノラはこう答える。「世間の多くのひとたちはあなたのほうが正しいとするでしょうし、本にもそんなような事が書いてありましょう。それはあたしもよく存じております。でも世間の言う事や本に書いてある事では、あたしはもう満足していられません。あたしは自分一人でよく考えてみて、物事をはっきり弁えたいと思っています」(p.142)。ノラは、自分のとらざるを得ない行為が、反社会的なことだということをよく知っている。また、幸福とは共同体の内部に安住している状態の謂だということも。そして、共同体の掟を侵す者が、かならず社会から罰せられるということも。
してみれば彼女の硬直した態度、頑なさは、強権的な夫への怒り、諦めから来ているというよりも(昔のわたしはそのように読んだ)、自身の幸福をかなぐり捨ててでも共同体の外部へとおもむかなくてはならない、という悲壮な決意を表していたのではなかっただろうか。だとすれば、わたしは断然、ノラを支持する。ノラの頑なさを支持する。
戯曲の最後、泣きつくヘルメルに対してノラは、「あたしたち二人の共同生活が、そのままほんとうの夫婦生活になれる」(p.149)ような、そんな「奇蹟中の奇蹟」が現れることがあれば、またやりなおすことができるかもしれない、といって家を出ていく。ヘルメルがその言葉に一縷の望みを抱くところで物語は終わるのだけれど、ノラは「いいえ、あなた、あたしもうそんな奇蹟なんて信じませんわ」(p.149)といって、奇蹟のおとずれを信じようとはしないのだった(つまり「奇蹟中の奇蹟」とは、夫への気休めとして口にしたにすぎないのかもしれない)。
奇蹟という名の超越、ロマンを待ち望むことを断念すること。そして、起こりもしない奇蹟を持ち出してまで、こちら側へ何としても引き止めようとする社会へ<否定>=<いいえ>をさしだすこと。そのようなふるまいに、いまのわたしは勇気付けられる。たとえそれが、文学的な行為ではないとしても。
われらの時代
2006年6月27日 書かれえぬ書物の焚焼
「フォッサルタ戦線の塹壕が砲撃で粉砕されているあいだ、彼は身をぴったり伏せて、汗だくになりながら祈っていた。ああイエスさま、どうかぼくをここから連れだしてください。お願いだから、ここから連れだしてください。お願いです、お願いです、お願いですから、どうか。ぼくを殺さずに生かしてくれたら、あなたの言うことはなんでも従います。ぼくはあなたを信じています。唯一大切な方はあなただけだ、と世界中の人に言ってやります。お願いです、どうぞお願いですから、イエスさま。砲撃は戦線の前方に移った。われわれは塹壕の補修をはじめた。朝になると太陽が顔をだし、暑くてじめついた、陽気で平穏な日になった。翌日の晩メストレに戻ったとき、彼は売春宿ヴィラ・ロッサの二階に一緒にあがった女に、イエスのことは話さなかった。その後も、だれにも話さなかった」(p95,『ヘミングウェイ全短編1』)
かつての小菅刑務所を眺めることが
2006年6月19日 書かれえぬ書物の焚焼この澄めるこころ在るとは知らず来て
刑死の明日に迫る夜温し
(島秋人)
わたしはこのエントリーで、広い意味でのファシズムについて書きたかったはずだったのですが、だいぶ難しかったので、今回は断念することにしました。いずれ、文学の効用と死刑囚と死刑制度と悔い改めることと赦しの問題とファシズム批判としての文学の可能性についてまとめて書くことができたらいいな、と思っています。それまでは、それまでは――どうしよう?
You Ain’t Goin’ Nowhere
2006年5月20日 書かれえぬ書物の焚焼
「この世界は、意味があるともいえぬし、ないともいえぬ。世界は、ただ単にそこに在る。いずれにしてもそこに在る、ということこそ、一番目立つ特色だ。すると急に、この明証がわれわれを強く搏つ。なぜならその明証に対してわれわれはどうしようもないからだ。(……)それ故、(心理的、社会的、機能的)意味づけの世界に代って、もっと堅固な、もっと直接的な世界を建造しようとしなければなるまい。そのような世界の現存によって、はじめて事物や仕種が自己主張をするからである。(……)未来の小説のこのような世界の中では、仕種や事物は、なにものかである以前に、そこに存るもの、になる」(『未来の小説への道』)
などという言葉をひくまでもなく、事物が存在しているということ、できごとがそのようにただ起こったこと、それだけで世界は充分だということ、どころかそもそもそれ以上も以下もないということ、を了解してはいる。それらを忘れるか気付かないふりをするかして、たわむれに言葉とイチャイチャするのは不実なふるまいだと考えもする。考えもするけれど、わたしは思う、あなたが決して語らなかった言葉は、わたしたちのものだったはずの過去と未来は、どこにいったのだろう? わたしたちのあいだに起こらなかったこと、起こるかもしれなかったのに起こらずじまいだったことは、どこに? わたしたちのあいまいな親しさからへだたれた親愛なる死者たちは、どこにいったの? そのように、わたしは思う、けれど、思うまでもなく――どこにも。どこにもいかないものは、どこにもいかない。
などという言葉をひくまでもなく、事物が存在しているということ、できごとがそのようにただ起こったこと、それだけで世界は充分だということ、どころかそもそもそれ以上も以下もないということ、を了解してはいる。それらを忘れるか気付かないふりをするかして、たわむれに言葉とイチャイチャするのは不実なふるまいだと考えもする。考えもするけれど、わたしは思う、あなたが決して語らなかった言葉は、わたしたちのものだったはずの過去と未来は、どこにいったのだろう? わたしたちのあいだに起こらなかったこと、起こるかもしれなかったのに起こらずじまいだったことは、どこに? わたしたちのあいまいな親しさからへだたれた親愛なる死者たちは、どこにいったの? そのように、わたしは思う、けれど、思うまでもなく――どこにも。どこにもいかないものは、どこにもいかない。
細雪
2006年5月6日 書かれえぬ書物の焚焼
「それでも家を出た時分には人顔がぼんやり見分けられる程度であったが、蛍が出るという小川のほとりへ行き着いた頃から急激に夜が落ちてきて、……小川といっても、畑の中にある溝の少し大きいくらいな平凡な川がひとすじ流れ、両岸には一面に芒のような草が長く生い茂っているのが、水が見えないくらい川面に覆いかぶさっていて、最初は一丁ほど先に土橋のあるのだけが分かっていたが、……蛍というものは人声や光るものを嫌うということで、遠くから懐中電灯を照らさぬようにし、話声も立てぬようにして近づいたのであったが、すぐ川のほとりへ来てもそれらしいものが見えないので、今日は出ないのでしょうかとひそひそ声で囁くと、いいえ、たくさん出ています、こっちへいらっしゃいと云われて、ずっと川の縁の叢の中へはいり込んでみると、ちょうどあたりが僅かに残る明るさから刻々と墨一色の暗さに移る微妙な時に、両岸の叢から蛍がすいすいと、すすきと同じような低い弧を描きつつ真ん中の川に向って飛ぶのが見えた。……見渡す限り、ひとすじの川の縁に沿うて、どこまでもどこまでも、果てしもなく両岸から飛び交わすのが見えた。……それが今まで見えなかったのは、草が丈高く伸びていたのと、その間から飛び立つ蛍が、上の方へ舞い上がらずに、水を慕って低く揺曳するせいであった。……が、その、真の闇になる寸刻前、落ち凹んだ川面から濃い暗黒が這い上がって来つつありながら、まだもやもやと近くの草の揺れ動くけはいが視覚に感じられる時に、遠く、遠く、川のつづく限り、幾筋とない線を引いて両側から入り乱れつつ点滅していた、幽鬼めいた蛍の火は、今も夢の中にまで尾を曳いているようで、眼をつぶってもありありと見える」(p.601〜602,『細雪』)
愛の完成
2006年5月2日 書かれえぬ書物の焚焼
ムージルの「愛の完成」を読んだ。
「幾日か前の晩のこと、あなたがあたしに接吻したとき、あたしたちの間に何かがあったのを、あなたはわかっていたかしら。あたしの心にふと何かが浮かんだの。ちょうどあのとき。どうでもいいようなことが。でも、それはあなたではなかった。そしてなにもあなたでなくてもかまわないということが、あたしには急につらくなったの。あたしはあなたにそれを言えなかった。初めはあたし、あなたがそれを知らないくせにあたしのすぐそばにいると思っている様子なので、微笑まずにはいられなかった。ところがそれから、あなたにそのことをもう言いたくなくなったの。あなたが自分でそれを感じとれないものだから、あなたのことが憎らしくなったの。それで、あなたの優しさはあのときわたしを見つけられなかったわけなのよ。といっても、あたしと別れて、とあなたにたのむ気はとてもなかったわ。なぜって、現実には、それはなんでもなかったのですもの。現実には、あなたはわたしのそばにいたのよ。だけどそれと同時に、ぼんやりとした影ほどにあたしは感じたの、あなたから離れても、あなたなしでも生きられるように」(p.14,『愛の完成,静かなヴェロニカの誘惑』)
夫を愛しく思えば思うほど、愛に誠実であろうとすればするほど、いま浸っている愛に不安を覚え、まったく場違いなような、何もかもを嘘臭く感じてしまうような、そんな気持ちをいだいてしまう女性が主人公の、小説。
彼女はタイトルのとおり愛の完成を夢み、のこりなく愛のなかに溶けこみ、愛するひととの完全な融合をもとめようとするのだが、そう望むみずからがそのように欲望してしまっているという点において、すでにして融和からへだてられてしまっていることに苦しむ。あるいは上の言葉のように、こちらが相手を思うようには決して相手は思わないし、逆もそうであるにもかかわらず、そこ(現実)にそのようにふたりが存在することこそが愛を、ふたりの関係を可能にしてしまっているばかりか、愛を限界づけていることに苦しむ。
しかしそれが愛の宿命ではないか。そもそも愛など、そう名付けることで飼いならされてしまった(究極的にはみずからのうちにとどまるような)心の状態にすぎないのではないか。社会が無数の契約関係のうちにひとを参入するように仕向けながら循環しつづける壮大なフィクションだとすれば(家族や、友情や、名前や、国家や、喪の作業や、エトセトラ、エトセトラ…)、愛こそそれらをつなぎとめる紐帯の役割を果たす、フィクションの最たるものであって、それを離れてはひとときたりともかたちを保てないのではないか。
だが、彼女はそんなおざなりの愛の定義に納得しない。納得できるわけもない。
そもそも愛が上記の定義にとどまるだけのものだとしたら、そんなものは愛といえるだろうか。愛こそが、ある種の真実さをそなえた愛だけが、そのようなフィクションのぶ厚いころもを破ることを可能にするだろうし、みずからのうちにこもりがちなわたしたちというかそけき主体を、世界の方へ、さむざむしくぶっきらぼうな世界の方へと、さしむけてくれるのではないか。
彼女にとって愛するということは、はじめから何よりそういうものだったはすで、ゆえに、相手との完璧な調和を望んだのだった。
ではそうだとすると、次なる問題は、いかにして愛を完成させるか、どのように相手との融合を達成するか、ということになる。仮にそんなことが可能であるとして。それを彼女は、一見しておかしな方法をとることで、果たそうとする――よりにもよって、他の男との姦通をとおして。
夫への愛が嵩じたあまり、他の男と通じあう、それって本末転倒もいいところじゃないか、そうも思う。訳者の古井由吉も、「愛する人との、その愛を完成させるため、その愛の現在性、事実性、その偶然性を超えていま一度、完全な相互性の中で結びつくために、この肉体を外へ投げ出す、という発想にまで至ると、読者は困惑を通り越して、ただあきれながめるかもしれない」と解説で綴っている。だがそのすぐあとに「これによって作品は、姦通小説を超えてしまう。有限の関係から、無限域に踏み入る」とも。
これはどういうことか。どうして愛を完成させるために、肉体を投げ出さなくてはならないのか。ここにこそ、この小説の可能性の中心があると思うのだけれど、あまりに難解な作品なので、わたしにはすっかりは解らない。だが、これは単純な逆説ではない、ということは解る。
おそらく――わたしの問題意識にひきつけて読むならば――愛するということの究極(もしかしたらその消失点)は、たがいをむすびつけるものがまったくないかぎりで、それこそ定言命法のかたちで、愛することなのだろう。いいかえれば、愛のもうひとつの(一般にそうであると思われているところの)面である、酷薄な現実世界を色鮮やかにしてくれるフィクションとしての、いってみれば愛のやさしさ、愛の嘘を破壊して、なお愛のなかにあること。
そのために彼女は、決然と、「そのようでもありえた」状況に身をまかせる必要があった。偶然を愛さなければいけなかった。あなたがいるために、わたしがいるために、ふたりがいるために、の絶対的な否定のかなたにあって、すわりのいい永遠などという言葉ではあらわすことのできない、虚無のなかで、虚無とともに愛さなければいけなかった。のではないか。そのように思う。
「だが彼女は部屋のまん中で床に横たわったままでいた。いま一度、何かが彼女を抑えつけた。自分自身についてのおぞましい感じが、昔と同じ感じが。何もかも過去への逆もどりにすぎないのかもしれないという思いが、刃物の一閃のように、彼女の四肢の腱を切断した。いきなり彼女は両手を上げ、助けて、あなた、助けて、と心の内で叫んだ。そしてそれが真実の叫びであることを感じた。しかし、そっとなぜてかえすひとつの思いがのこっただけだった。≪あたしたちはお互いをめざしてやってきました。空間と年月をひそやかに通り抜けて。そしていま、あたしはつらい道をとってあなたの中へ入りこもうとしているのです≫と」(p.88)
困難な道ゆきだと思う。そして、結末を読むかぎり、きっとその「つらい道」=虚無は、愛そのものとは別のものなのかもしれないのだった。
長いよ。
「幾日か前の晩のこと、あなたがあたしに接吻したとき、あたしたちの間に何かがあったのを、あなたはわかっていたかしら。あたしの心にふと何かが浮かんだの。ちょうどあのとき。どうでもいいようなことが。でも、それはあなたではなかった。そしてなにもあなたでなくてもかまわないということが、あたしには急につらくなったの。あたしはあなたにそれを言えなかった。初めはあたし、あなたがそれを知らないくせにあたしのすぐそばにいると思っている様子なので、微笑まずにはいられなかった。ところがそれから、あなたにそのことをもう言いたくなくなったの。あなたが自分でそれを感じとれないものだから、あなたのことが憎らしくなったの。それで、あなたの優しさはあのときわたしを見つけられなかったわけなのよ。といっても、あたしと別れて、とあなたにたのむ気はとてもなかったわ。なぜって、現実には、それはなんでもなかったのですもの。現実には、あなたはわたしのそばにいたのよ。だけどそれと同時に、ぼんやりとした影ほどにあたしは感じたの、あなたから離れても、あなたなしでも生きられるように」(p.14,『愛の完成,静かなヴェロニカの誘惑』)
夫を愛しく思えば思うほど、愛に誠実であろうとすればするほど、いま浸っている愛に不安を覚え、まったく場違いなような、何もかもを嘘臭く感じてしまうような、そんな気持ちをいだいてしまう女性が主人公の、小説。
彼女はタイトルのとおり愛の完成を夢み、のこりなく愛のなかに溶けこみ、愛するひととの完全な融合をもとめようとするのだが、そう望むみずからがそのように欲望してしまっているという点において、すでにして融和からへだてられてしまっていることに苦しむ。あるいは上の言葉のように、こちらが相手を思うようには決して相手は思わないし、逆もそうであるにもかかわらず、そこ(現実)にそのようにふたりが存在することこそが愛を、ふたりの関係を可能にしてしまっているばかりか、愛を限界づけていることに苦しむ。
しかしそれが愛の宿命ではないか。そもそも愛など、そう名付けることで飼いならされてしまった(究極的にはみずからのうちにとどまるような)心の状態にすぎないのではないか。社会が無数の契約関係のうちにひとを参入するように仕向けながら循環しつづける壮大なフィクションだとすれば(家族や、友情や、名前や、国家や、喪の作業や、エトセトラ、エトセトラ…)、愛こそそれらをつなぎとめる紐帯の役割を果たす、フィクションの最たるものであって、それを離れてはひとときたりともかたちを保てないのではないか。
だが、彼女はそんなおざなりの愛の定義に納得しない。納得できるわけもない。
そもそも愛が上記の定義にとどまるだけのものだとしたら、そんなものは愛といえるだろうか。愛こそが、ある種の真実さをそなえた愛だけが、そのようなフィクションのぶ厚いころもを破ることを可能にするだろうし、みずからのうちにこもりがちなわたしたちというかそけき主体を、世界の方へ、さむざむしくぶっきらぼうな世界の方へと、さしむけてくれるのではないか。
彼女にとって愛するということは、はじめから何よりそういうものだったはすで、ゆえに、相手との完璧な調和を望んだのだった。
ではそうだとすると、次なる問題は、いかにして愛を完成させるか、どのように相手との融合を達成するか、ということになる。仮にそんなことが可能であるとして。それを彼女は、一見しておかしな方法をとることで、果たそうとする――よりにもよって、他の男との姦通をとおして。
夫への愛が嵩じたあまり、他の男と通じあう、それって本末転倒もいいところじゃないか、そうも思う。訳者の古井由吉も、「愛する人との、その愛を完成させるため、その愛の現在性、事実性、その偶然性を超えていま一度、完全な相互性の中で結びつくために、この肉体を外へ投げ出す、という発想にまで至ると、読者は困惑を通り越して、ただあきれながめるかもしれない」と解説で綴っている。だがそのすぐあとに「これによって作品は、姦通小説を超えてしまう。有限の関係から、無限域に踏み入る」とも。
これはどういうことか。どうして愛を完成させるために、肉体を投げ出さなくてはならないのか。ここにこそ、この小説の可能性の中心があると思うのだけれど、あまりに難解な作品なので、わたしにはすっかりは解らない。だが、これは単純な逆説ではない、ということは解る。
おそらく――わたしの問題意識にひきつけて読むならば――愛するということの究極(もしかしたらその消失点)は、たがいをむすびつけるものがまったくないかぎりで、それこそ定言命法のかたちで、愛することなのだろう。いいかえれば、愛のもうひとつの(一般にそうであると思われているところの)面である、酷薄な現実世界を色鮮やかにしてくれるフィクションとしての、いってみれば愛のやさしさ、愛の嘘を破壊して、なお愛のなかにあること。
そのために彼女は、決然と、「そのようでもありえた」状況に身をまかせる必要があった。偶然を愛さなければいけなかった。あなたがいるために、わたしがいるために、ふたりがいるために、の絶対的な否定のかなたにあって、すわりのいい永遠などという言葉ではあらわすことのできない、虚無のなかで、虚無とともに愛さなければいけなかった。のではないか。そのように思う。
「だが彼女は部屋のまん中で床に横たわったままでいた。いま一度、何かが彼女を抑えつけた。自分自身についてのおぞましい感じが、昔と同じ感じが。何もかも過去への逆もどりにすぎないのかもしれないという思いが、刃物の一閃のように、彼女の四肢の腱を切断した。いきなり彼女は両手を上げ、助けて、あなた、助けて、と心の内で叫んだ。そしてそれが真実の叫びであることを感じた。しかし、そっとなぜてかえすひとつの思いがのこっただけだった。≪あたしたちはお互いをめざしてやってきました。空間と年月をひそやかに通り抜けて。そしていま、あたしはつらい道をとってあなたの中へ入りこもうとしているのです≫と」(p.88)
困難な道ゆきだと思う。そして、結末を読むかぎり、きっとその「つらい道」=虚無は、愛そのものとは別のものなのかもしれないのだった。
長いよ。
ボヴァリー夫人
2006年4月22日 書かれえぬ書物の焚焼
「「めくら!」とエマはさけんだ。
そして彼女は笑いだした。乞食の醜悪な顔が、おばけのように、地獄の永遠の闇につっ立っているのが見えるような気がして、ぶきみに、狂いじみて、絶望的に笑った。
ちょうどその日は大嵐で、
短いジュボンを吹っ飛ばす!
痙攣がエマを布団の上にうち倒した。みんなは近づいた。もう死んでいた。」
(p.419,『ボヴァリー夫人』)
そして彼女は笑いだした。乞食の醜悪な顔が、おばけのように、地獄の永遠の闇につっ立っているのが見えるような気がして、ぶきみに、狂いじみて、絶望的に笑った。
ちょうどその日は大嵐で、
短いジュボンを吹っ飛ばす!
痙攣がエマを布団の上にうち倒した。みんなは近づいた。もう死んでいた。」
(p.419,『ボヴァリー夫人』)
いっぷう変った胡桃ケチャップ
2006年3月29日 書かれえぬ書物の焚焼
「殻ができる以前の、まだ緑色した胡桃を用意。ひきうすで挽くか、大理石の乳鉢に入れて叩きつぶす。次に粗い布を用いて汁を絞りだし、この汁一ガロンにつきアンチョヴィー一ポンドと同量の粗塩、四オンスのジャマイカ胡椒、ロング・ペパー二オンス、黒胡椒の実二オンス、にくずく、丁香、生姜、それぞれ一オンスずつと、わさび一本を加える。これらを混合し、全体の量が半分に減じるまで煮つめる。その後、鉢に移し、冷めたら瓶にしっかりつめる。三ヶ月ほどで使用可能となるだろう」(p.28,『アメリカの鱒釣り』)
アウステルリッツ
2006年3月25日 書かれえぬ書物の焚焼
「死者は時の外にいます。瀕死の人も、自宅や病院で床に臥すおびただしい病人もそうです。彼らだけではありません、身に積もる不幸がある量に達すれば、それによってその人間が過去のすべて、未来のすべてから断ち切られることがありうる。げんに、とアウステルリッツは語った。私は時計というものを持ったことがありません。振り子時計も目覚まし時計も懐中時計も、ましてや腕時計など論外です。時計というものは、私にとってただもう莫迦らしいものでしかなかった。どこからどこまで嘘としか思えなかった。おそらくそれは、私自身にも判然としない衝動から、私が時間の力に逆らいつづけ、いわゆる時代の出来事に心を閉ざしてきたからなのでしょう。今にして思えば、とアウステルリッツは語った。私は時間が過ぎなければよい、過ぎなければよかった、と願っていたのです、時間を遡って時のはじまる前までいけたらいいのに、すべてがかつてあったとおりならばいいのに、と。もっと正確に言うなら、私はあらゆる刹那が同時に併存してほしいと願っていました、歴史に語られることは真実なんかでなく、出来事はまだ起こっておらず、私たちが考えたその瞬間にはじめて起こるのであってほしい。もちろんそうなれば、永遠の悲惨と果てのない苦痛という、絶望的な側面も口を開けてしまうのですが」(p.99,『アウステルリッツ』)