騾馬
2013年9月17日 書かれえぬ書物の焚焼 コメント (1)
ヘミングウェイの「死者の博物誌」という短編のなかに、兵士たちが、頑健な騾馬たちを、行軍の邪魔になるという理由で脚を叩き折り、海に突き落とし溺死させる、という1シーンがあり、たまに思い出す。
思い出し方はその時々の気分だが、作中ではただのエピソードにしかすぎないし、わたしもふだんは忘れているし、思い出してもじきに忘れる。
だがこんな無惨な死に方はなく、このことだけを生涯考えたっていいのだ。騾馬の脚の骨を打ち砕く道具や、現場の有能な兵士から考案されたであろう、効率的に作業を遂行するための方法について。作業中に発せられる音や臭い。作業を終えたあとに交わされた会話。海へ落下していく騾馬たちと、生涯家畜として使役される騾馬たちとの差異。あるいは、わたしたちとの差異。騾馬のなりたちや、騾馬の未来。溺死に向かう騾馬の一匹一匹の苦痛の克明な描写。その描写と、騾馬の苦しみとの無関係さ。当日の天気と気温。潮風や土煙、水飛沫。作業が戦争に与えた影響。作業がそれに従事した兵士たちに与えた影響。作業が騾馬たちに与えた影響……
でもわたしは、そういうようにはできていない。文学の効果によって、たまにこうして思い出し、騒がない心とともに、何かしらのひっかかりを感じつつも、それをうまく言い表すこともできず、言い表せたとしてもそれが何になるということもないので、いずれ忘れそしてまた思い出し、そうして、死んでいく。それが何するものぞ。オリンピック何するものぞ。わたしの日々の生活何するものぞ。騾馬の苦しみの総和何するものぞ。
…………
男と騾馬がいた。男は騾馬に対して、お前はあらかじめ不妊であるから、生きている意味といえば働くことくらいしかない、かわいそうに、といつも優しげにたてがみを撫でるのだった。
騾馬も、男の言うことはもっともだと思ったが、同時に騾馬は未来を見通す能力を持っていたので、男が子を成さずに、駆り出された戦場で炸裂弾によりバラバラにされること、爆風で吹き飛んで鉄条網にこびり付いた男の死体を、顔を顰めた他の兵士によって回収されること、それらの未来を瞳に映しては、男も自分と大して変わらず、生きている意味といえば、身体の個々の部位が判別不能な破片となって、回収に際し他人の手を煩わせるくらいだ、と思うのだった。
騾馬はもちろん自身の未来も見通せたから、ひとつところに集められ、脚を叩き折られて海に沈められるという悲惨な死を予感することができた。したがってある晩、騾馬は渾身の力を込めて男を踏み殺し、それを咎める別の人間たちから一息に撲殺された。こうして男と騾馬は、騾馬の見通した未来と別の死を迎えることになった。
思い出し方はその時々の気分だが、作中ではただのエピソードにしかすぎないし、わたしもふだんは忘れているし、思い出してもじきに忘れる。
だがこんな無惨な死に方はなく、このことだけを生涯考えたっていいのだ。騾馬の脚の骨を打ち砕く道具や、現場の有能な兵士から考案されたであろう、効率的に作業を遂行するための方法について。作業中に発せられる音や臭い。作業を終えたあとに交わされた会話。海へ落下していく騾馬たちと、生涯家畜として使役される騾馬たちとの差異。あるいは、わたしたちとの差異。騾馬のなりたちや、騾馬の未来。溺死に向かう騾馬の一匹一匹の苦痛の克明な描写。その描写と、騾馬の苦しみとの無関係さ。当日の天気と気温。潮風や土煙、水飛沫。作業が戦争に与えた影響。作業がそれに従事した兵士たちに与えた影響。作業が騾馬たちに与えた影響……
でもわたしは、そういうようにはできていない。文学の効果によって、たまにこうして思い出し、騒がない心とともに、何かしらのひっかかりを感じつつも、それをうまく言い表すこともできず、言い表せたとしてもそれが何になるということもないので、いずれ忘れそしてまた思い出し、そうして、死んでいく。それが何するものぞ。オリンピック何するものぞ。わたしの日々の生活何するものぞ。騾馬の苦しみの総和何するものぞ。
…………
男と騾馬がいた。男は騾馬に対して、お前はあらかじめ不妊であるから、生きている意味といえば働くことくらいしかない、かわいそうに、といつも優しげにたてがみを撫でるのだった。
騾馬も、男の言うことはもっともだと思ったが、同時に騾馬は未来を見通す能力を持っていたので、男が子を成さずに、駆り出された戦場で炸裂弾によりバラバラにされること、爆風で吹き飛んで鉄条網にこびり付いた男の死体を、顔を顰めた他の兵士によって回収されること、それらの未来を瞳に映しては、男も自分と大して変わらず、生きている意味といえば、身体の個々の部位が判別不能な破片となって、回収に際し他人の手を煩わせるくらいだ、と思うのだった。
騾馬はもちろん自身の未来も見通せたから、ひとつところに集められ、脚を叩き折られて海に沈められるという悲惨な死を予感することができた。したがってある晩、騾馬は渾身の力を込めて男を踏み殺し、それを咎める別の人間たちから一息に撲殺された。こうして男と騾馬は、騾馬の見通した未来と別の死を迎えることになった。
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